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ラベル(禾(部首))が付いた投稿を表示しています

zekku0247

 [0927遅刻投稿] 秋日獨居、和韻。 烈日虚閨壁退紅。圭田稂莠與禾同。可憐蟬噪仍纏冕。夜半高音不得聾。 韻東(上平)、仄起、七絶。 烈日虚閨壁は退紅す。圭田の稂莠禾と同じうす。憐れむべし蟬噪仍ほ冕に纏はり、夜半の高音聾するを得ず。 注釈。和韻、 紅蘭受露(深翠氏作) 。起句、翠帳紅閨という貴婦人の寝所を示す熟語がある。圭田、高官が王から賜った田圃、祭祀用や生活の糧とする。稂莠、いぬあわとはぐさ、水田の雑草。與禾同、後ろの所や之(圭田)を省いている。高音、大きな音、又、高音域、耳の衰えは高周波から来る。 [同日訂正]冒韻回避の為「空」を「虚」へ変更。 閨怨。 荒れた家を守る貴婦人の秋の慰めである虫の声を共にする人の居ない寂しさを詠う。 _/_/_/_/_/ 昔の富貴の生活に疎いので前半に矛盾があるかもしれない。 解嘲の為の詩債が雪達磨式に増える。無理のない範囲で此れを己の技倆を高める機会としたい。

zekku0233

 [0909遅刻投稿] 恤問。 車軸搥家竈産鼃。掃泥流汗復沾褢。淸澄夜氣渾身震。禍後三旬始燬稭。 韻佳(上平)、仄起、七絶。 車軸家を搥ち竈鼃を産す。泥を掃き汗を流し復た褢を沾す。淸澄たる夜氣渾身震ふ。禍の後三旬にして始めて稭を燬く。 注釈。車軸、強い雨の譬え。竈産鼃、洪水が引かず沈んだ竈で蛙が孵ったとの故事。褢、袖。燬稭、藁を焼尽くす、駄目になった稲を処分する。 秋出水の話が頻りである。洪水の無い年を平年と呼ぶ用法もあるのだが、此の平年が訪れるのは何時になるのだろうか。

zekku0225

  詠懷。 賬戸寡刀泉。暑來時發癲。何憂孫子事。倉廩有霜秈。 韻先(下平)、仄起、五絶。 賬戸に刀泉寡し。暑來りて時に癲を發す。何ぞ孫子の事を憂へん。倉廩霜秈有り。 注釈。賬戸、銀行口座。孫子事、後裔の事、又、用兵の事。霜秈、白く搗いた粳。 第三・五回聒聒兒漢詩會に提出。 戦争が余り身近でなく、食糧も十分にある。その事実が大いに心の支えとなっている。

zekku0219

  憫老父。 錫杖鐵錚錚。不能聞厥聲。桑楡宜共樂。愛語與香秔。 韻庚(下平)、仄起、五絶。 錫杖の鐵錚錚たるも、厥の聲を聞く能はず。桑楡宜しく共に樂しむべし。愛語して香秔を與へん。 注釈。錚錚、金属が澄んだ音を立てる様。桑楡、晩年。香秔、江蘇浙江に産する米を言うが、此処では単に香ばしい粳。 展示資料用に買った鉄の環を幾つか纏めて揺らすと心地良い音が出た。生演奏の鳴り物にどうかと父に聞かせたが反応が無かった。高音域が判別出来なくなってきているようだ。親と喜びを共有し得ない日がこんなにも早く来るとは思わなかった。

zekku0211

 [0813遅刻投稿] 傚寒山詩。 難逃涔旱蝗。不要玉盈堂。齷齪蒸黎貯。欣欣育夥秧。 韻陽(下平)、平起、五絶。 涔旱と蝗とより逃れ難し。玉の堂に盈つるを要いず。齷齪として蒸黎貯へ、欣欣として夥しき秧を育む。 注釈。題名、「土牛耕石田、未有得稲(即ち道)日」の一節に倣って掛詞を駆使した。涔旱蝗、大雨と日照りと虫害。玉盈堂、金玉満堂。齷齪、こせこせする様、心の狭い様、又、不潔な様。欣欣、喜ぶ様、得意な様。夥秧、多くの苗、禍殃と同音。 手広く商っても制御出来るならば問題は無いのだが、往々にして自分の職能を見誤るものである。鯫生は神経質なので勝ち組の筆頭である総合商社には勤められないし経営も無理だ。但し、他人や機械にやって貰った事を自分の手柄とはしないし搾取もしない。

haiku0104

  長田なる秕貫きてし稲光 美しい田圃に或る夜落雷があった。稲が駄目にならないか心配したが、有難い事に豊作だった。神々が過酷な暮し向きの水呑みを不憫に思し召して、禾穀がたわわに稔る様に稲妻を遣わしたのかもしれない。ところで、長田(田圃の美称)は永田と同音であるし、しひなの字には秕政の熟語もある。雷を主神の怒りの象徴とした神話もある。当て擦る意図が無いではない。 文民は文字の獄を恐れざるを得ない。同義語、同音語を使ったり、譬えたりして糾弾するのが筆耕硯田の常ではある。時に権力者は寛容でないばかりか、揶揄の存在しない文脈を断罪してしまうことも。更に、試験で不合格になるだけならまだしも、一族郎党お縄になるなんて珍事中夭は歴史書を繙けば枚挙に遑がない。 民主主義も世界平和も多様性も詮ずる所正義の暴走を食い止める為の道樞が必須だ。敵と認識しない事、敵でも許せる事が要諦だ。先ず鯫生が譲歩致すべきだろう。憂国の士に天啓が与えられんことを祈ると云う句意としてお読みになって下さい、政治屋の諸先生方。失敬、右手人差し指が伸びてしまいました。

haiku0089

  霹靂(かみとけ)の闢く八月の穭田 靊霳や霹靂や雷霆と書くと強そうに見えて、稲妻(夫)と書くと靭やかに感じる。雷を表す語は主に夏の季語であるが、稲妻は初秋の季語だ。 穭田は稲刈りが終わった後の株からほっそりとした茎が生えているのがぽつぽつと見える田圃のこと。当然羊の群れが居座っている訳ではない。櫱の生命力に満ちた印象とは逆に、瀟殺たる情景が見える。 再生二期作が最近は盛んになってきているらしい。巨人が雷霆の鋤や鍬を振り下ろし土に力を注入しているような映像が浮かんだ。そうして、余孼から新たな命が育まれる気がする。伝統的な稲妻の解釈を見直す時期になったのかもしれない。 靊霳にはついでに秕政を鋤蹶斬断して欲しい。