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haiku0251

  櫻飛ぶ日高き山路シナゴーグ 猶太教の集会場も絵文字があるらしい。漢語に飛花があるが、大和言葉に花が飛ぶとの言回しが無かったので韻を踏んでみた。母音二拍だけなので、全く気付かないが。 若し教主になるならば、宗旨は自らより大きなるを造る勿れ。巨大建築や壮大な官僚制は維持の為の手間が掛かり過ぎる。思想は各々の本一冊で事足りる。諸領袖の如く千巻もの上梓は環境破壊だ。抑裸虫と恵車との体積差重量差は一目瞭然である。軽車熟路に如くはない。扱える範疇の諸現象を叮嚀に手入れする以上は個人には手に負えない。大集団は踏躙らなければ踏みなずさう。多分琴線に触れる倫理観は埋もれてしまったのだろう。併し同時発生的に現代でも点在していると直観できる。道常無名。だから絶望せずに済んでいる。 _/_/_/_/_/ 本当は著者名も取り去りたい。一介のケモショタでありたい。が、名を出さなければ金は集まらないのだ。将来への投資である以上記名せねばならない。 所詮剽窃だが。 この文章はNi強めにした。繰返すが、鯫生はN-TiかTi-Nである。Teで詰めたくは無いのだ。 ソフィアズカーニバルの世界法則が興味深い。常に三竦みになっている。 鼎立の定律。

haiku0137

  天高し駑馬も老驥も肋勝ち 天高く馬肥ゆる秋とあるので、俳句では天高しと痩せ馬の取り合わせが実の所定番ではある。だから、痩せにけりとすると間違いなく埋没する。そこで、捻って実景を詠んで韻を踏んでとしたのがあばらがちだった。自慢は以上になります。 こう申すと当人達は否定されるだろうが、鯫生の庠序には驥服塩車と見えた教師が沢山いらっしゃった。勿論牛驥同皁ではあったが。鯫生のような駑駘が長阪を存じなければ前途洋洋だっただろうに。具体的には書けないが、当時から機能不全だったとはいえ優秀だった人々の集団は乱離骨灰になってしまったとの風の便りが届いた。 今戦争の気配がする。戦勝国に成り上がる為に勝ち馬に乗りかねない政権が散見される。そうして終末戦争の引鉄となりそうだ。哀鴻遍野、痩せ馬しかいないのにも拘らず。 _/_/_/_/_/ 教職自体を卑しむのは基本的には格言にあるように出来ない人がやるからだ。ただ、あれ程の方々が無能だったとしたならば相当な高水準と云える。篤志家が徇職した時期があったのだろう。そして今も熱心で不惜身命の人はいるところにはいるのだ。もんぺえ(冬の季語ですが何か? 現実に即して云うと陳套な物言いの西装套服ではある)に阻まれて個別対応がし辛くなっているとも聞くが。職を追われる人も後を絶たないようだ。 個別対応が教職の本分だろう。平等のために公平性を減じなければならないこともある。それに気付いた父兄には豚児に積極的に構ってやって欲しい。同時に、教員を譴責しないでやって欲しい。情けは人の為ならずだろう。再びはそれを縷述しない。 父兄とか豚児などとは云わずに保護者とお子様と云えと云う人は勝手に喚くがよい。美徳に酔うがよい。間断なく。但し鯫生の視界には入るな。 学生時代の傷に浸るのはVBPN(temporistics)的、3P的だと思う。考えが纏まらなくなる。一朝の忿に支配されてしまう。tone policing (語気管制)の餌食になるのは解ってはいるのだが。 ところでtone policing の漢語訳が出ない。新しい言葉だからだけではない気がする。