投稿

haiku0240

  輝かす未曾有の数の霞草 カスミソウは花束や生花のつまにしかならない。そんな詰まらない見方に異議を唱えたい。五十株も集まれば誰が添えと云うのだろうか。異常繁殖した一角を眺め乍ら感じた。去年は毒芹擬が、一昨年はネモフィラが、前年は蕺草が溢れていた。庭はママの仰せの儘よ。 [追記0326霞草まだでした。雪柳の見間違いでした。]

haiku0239

  自堕落にわざくれ給へ庭桜 庭桜は此処では庭の桜。句や何時思付くねんと責め乍ら、つくねんと外を見遣ると五丈程の高さの花が目に入った。丹念に手入れした樹木の開花を母が知らせに来た。三寒四温は去っていた。春和景明を春蚓秋蛇以て書留める。絶滅寸前季語辞典に家桜が載っていたが此の株で詠めると嬉しく思う。 _/_/_/_/_/ -17時間前行動。立派ダナー。

senryu0051

  ブラクラを仕込む部落の晒し場に 履歴書でしか評価しない者は共に謀るべからず。無数の点が描く日本地図は実体を反映するのだろうか。 近隣に桜を見に行った折に元の役場があった場所を通過した。低く狭い家屋が並んでいた。道は整っていた。落着いた寺院があった。現在公館は城の周囲に引越してしまった。 嘗て匿名掲示板で持論を目にした事がある。曰く、城郭に中枢機能が集中する都市は衰退していると。階級の固定化が進んでしまう。頻繁に簡素な官舎を移すに越したことは無いのかもしれない。現実的には、多機能施設の点在と公務員の駐在や何如。大制は割かず。 政治は既得権に中立であるよう働掛けたい。少なくともノブレスオブリージュ位は意識城。 _/_/_/_/_/ 日本人自体が世界的には特権階級である事は銘記している。 余分な金を持つと不幸になるので、悪徳宗教家、政治屋、経営者、商人等の支配者が庶民から搾取るのは妥当との論も可能ではある。尤も、基本的には無産の最富裕層から社会の基盤たる大貧民が略取する仕組みも同時に必要だが。フォーカード無いかなあ。 東大はサピックス鉄緑会がエスカレータだ。当然貧困の再生産もエスカレートするが。 Temple of Cant を奸徒寺院と訳した。ボルタック商会より悍ましい。

haiku0238

  ケモショタの乗るデコトラや春休み 二日連続のケモショタ。若干の現実逃避。二人で全国を旅したい。何かが変わりそうな気がする。そんな具体性の欠片もない幻想。最近ごてごての装飾を見ないなあ。 _/_/_/_/_/ 寝不足と処方量の増加とで変調を来している。詳しい事はまた後日韻文に追記する。

haiku0237

  ケモショタに籠一杯のネモフィラを 〽ケモショタにネモフィラをあげよう~ケモショタにネモフィラ~ケモショタにネモフィラ~ 宇多田氏の花束を君にの節で口遊む。只の気分。黄色、茶色、黒、白、どの毛皮にも華やか。創作上は青系の色もあるが……。

haiku0236

  韭 殲 きざ む開幕投手のスプリット センは韮のように纖切りにする原義があると思う。独自の当字だ。菜切包丁がとんとん動くように投手の変化球もすとんすとんと打線を殲滅していく。ダルビッシュ選手や佐々木選手の球を相手取るのは骨が折れるだろう。軌道は急峻だ。 スプリットと云ったら昔は十柱戯で腕の見せ所だった。今は専ら野球のフォークボール系の一つだ。昔は電視で片仮名禁止遊戯を放映したものだが、廃れてしまったのだろうか。鯫生ならば過料を免れるだろう。但し、肝腎の点数が八十点に届かないのはお見逃し下さい。 球春到来だが、放送大学の為に陣取るので家族は楽しめない。御免ね。でも、電通案件よりは徒爾に終わる見込みが低いと存じます。錯覚の科学と色を研究すると太陽と太陽系の科学を拝見しています。個人的には氷惑星の世界を深堀りしたい。 _/_/_/_/_/ 広告代理店の腕前は見縊っていない。だからこそ厄介だ。ショバ代を勉強遊ばせ。

senryu0050

  梟 来 こ 三十路に至るマグルにも 自称魔法使いの呟き。凡人に生まれてしまったけれども、他人が所謂青春に感ける間に蓄えた物で世界が変えられたらなと夢想する。まあ、良縁が皆無ではない事、遠遊を慎むべき境遇にある事は諸果報と申しても過言ではないです。附記すると、童貞の身を自嘲するネットミームに依る。而立には自律しなければならない。不惑の無能は畏敬を賜れないので。 改作前は恋はいさ三十路に至る魔法使いとしていた。上五で種を明かすのが気に入らなかった。掛詞は三十路に至ると misogyny 為る。自己弁護をすると、XX個体だから敬遠する訳ではない。XYでも他の動物でも関係なく、放蕩も非羞も肌に合わないだけだ。訠や朋党比周をや。拙句には群れに対する忌避感が通底している。 _/_/_/_/_/ 無論、疲労困憊の人は別だ。幸せな赤子の時間が必須。それが健全な社会だろう。 新漢語林は況やしか検索できない。矧や訠に記載はあるが。鼎も将に~んとすや方にで該当しない。その点漢字源は丁寧な仕事だ。 再読文字に就いて。将を引く時、新漢語林は「まさにす」、漢字源は「まさにせんとす」だ。応は「まさにべし」、「まさにすべし」。念の為。後、何故か漢字源では猶が「なおのごとし」で掛からず、「のごとし」になっている。由は前者で見付かるので多分意図したものではないだろう。