我復不被騙、去聲三十韻其八。 齷齪衆憨戇。遨遊闐陋巷。翌年爲轉屍。不覺躬沖撞。 韻絳(去声)、仄起、五絶。 齷齪として衆憨戇なり。遨遊して陋巷に闐つ。翌年轉屍と爲らん。躬らの沖撞を覺えず。 注釈。齷齪、ゆとりが無く目先の事ばかりを追求める様。憨戇、痴呆。遨遊、恣に遊ぶ、又、周旋する。闐陋巷、狭い街に一杯になる。轉屍、放置された死体。沖撞、唐突に攻撃する事。 人間の持つ侵襲性を意識しない者が多い。場の雰囲気を保てば自分は悪くないとの他律が目立つ。主体性の無い者が集まると得てして意味不明な慣習を強制する。何故決めたか分からない事柄ばかりで過去の記録を遡れない。検証不可能性は非科学であり、非民主的である。そうして戦場に駆出されて初めて「私は騙された」と叫ぶのである。勿論自戒である。 物価高に苦しむならば娯楽位は金を掛けない方が良い。有名クリエイタの商品を買うよりも、有名クリエイタの発想の元になった物事を観察し、自分で表現に昇華し、周りの人と作品について遣取りすればよい。所詮凡百のクリエイタはこの程度の事で集金しているのである。小学館の新玩具逆転バリバリバースのキャラも何処かで聞いた話である。適切に注意力を割当てれば只で楽しむ事が出来るのだ。作品は味わうが商品を買わない選択は幾らでもある。技術と宣伝力だけはある多くの専門家よりも余裕のある一般人の方が面白い。此れを玄人跣と言うのだ。色々な個性が寄合えば一生飽きる事は無いだろう。 _/_/_/_/_/ 若干設定の練りが足りないが、ケモノの作画はお薦めする。金が無く売り方に賛同し兼ねるので買わないが。 昔の漫画家は実際の人を観察したが、今は網上だけの皮相的な描写に終始している気がする。知人とばかりつるむのではボードレールが散文詩「群衆」で述べる「全てとの交わり (universelle communion) 」に浸れないだろう。其れこそ一時的に恥を知らしめても良いのかも知れない。 作品中に小学館の内実を吐露した表現があれば笑える。そんな自己批判や自浄作用に期待すべきでもないのか。 鯫生は利己的である。自分を愛せずして他を愛せる筈がない。認知科学的には適応不可能の時、自己分解の段階に入ると報酬系が逆に働くらしいが此れが現代の衆愚の動機だろうか。人を疎外する体制を支持して効果的に自滅するのだ。そのお零れで養って貰っている...