[1029遅刻投稿] 月末恒例句会の弁明回。 木通裂くぷよぷよ覇者の大欠伸 アジア大会で栗原悠輝選手が優勝したが、決勝の試合に臨む前に大欠伸した事が話題となった。碁打ちでもそうだが、平常心と地続きで集中出来るようにしておきたい。鯫生は木通を食べると思う。 読書の秋キモンの学より茶が宜し 記問の学より祁門の紅茶が良い。周作人は魯迅の弟だったのか。 重ねたき心無き世や秋袷 『感情労働の未来』にとんでもない事が書いてあった。「[1]自分に近い人にこそ、[2]私たちは自分のことをわかってほしい、[3]相手のことをわかりたいと思うものであり、[4]相手と一体化しようとする。」(62頁末、[1]~[4]は鯫生が付与)とある。[1]の再解釈である[2]と[3]は確実に言い切って構わない事だが、[4]は自明ではない。脳科学者である筆者個人の経験ならば[4]の前に「私は」を補う必要がある。また、人はどんな時でも相手に合わせる訳ではないから[4]の前に「時には」と補う事も一案だ。脳科学者の肩書を振翳して神経多様性を無視するような暴挙があってはならない。 鯫生の場合はどんなに自分と考えや立場が近くても他人には他人であって欲しいと思うし、勝手に相手を理解して自分の一部のように扱う人権蹂躙には耐えられない。勿論反吐が出るような人物も多いが、心を無理矢理重ねる事に喜びを感じない方が人間的と思われるのだ。全く関係のない人と偶々感性のごく一部が合う事が共感ではなかろうか。NPDやBPDが好まれる社会、共感主義国家は、少なくとも鯫生にとっては生き辛い。