haiku0137
天高し駑馬も老驥も肋勝ち
天高く馬肥ゆる秋とあるので、俳句では天高しと痩せ馬の取り合わせが実の所定番ではある。だから、痩せにけりとすると間違いなく埋没する。そこで、捻って実景を詠んで韻を踏んでとしたのがあばらがちだった。自慢は以上になります。
こう申すと当人達は否定されるだろうが、鯫生の庠序には驥服塩車と見えた教師が沢山いらっしゃった。勿論牛驥同皁ではあったが。鯫生のような駑駘が長阪を存じなければ前途洋洋だっただろうに。具体的には書けないが、当時から機能不全だったとはいえ優秀だった人々の集団は乱離骨灰になってしまったとの風の便りが届いた。
今戦争の気配がする。戦勝国に成り上がる為に勝ち馬に乗りかねない政権が散見される。そうして終末戦争の引鉄となりそうだ。哀鴻遍野、痩せ馬しかいないのにも拘らず。
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教職自体を卑しむのは基本的には格言にあるように出来ない人がやるからだ。ただ、あれ程の方々が無能だったとしたならば相当な高水準と云える。篤志家が徇職した時期があったのだろう。そして今も熱心で不惜身命の人はいるところにはいるのだ。もんぺえ(冬の季語ですが何か? 現実に即して云うと陳套な物言いの西装套服ではある)に阻まれて個別対応がし辛くなっているとも聞くが。職を追われる人も後を絶たないようだ。
個別対応が教職の本分だろう。平等のために公平性を減じなければならないこともある。それに気付いた父兄には豚児に積極的に構ってやって欲しい。同時に、教員を譴責しないでやって欲しい。情けは人の為ならずだろう。再びはそれを縷述しない。
父兄とか豚児などとは云わずに保護者とお子様と云えと云う人は勝手に喚くがよい。美徳に酔うがよい。間断なく。但し鯫生の視界には入るな。
学生時代の傷に浸るのはVBPN(temporistics)的、3P的だと思う。考えが纏まらなくなる。一朝の忿に支配されてしまう。tone policing (語気管制)の餌食になるのは解ってはいるのだが。
ところでtone policing の漢語訳が出ない。新しい言葉だからだけではない気がする。
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