贖罪の小説をこそ青葉雨 小説家は誰にでもなることが出来る。凡百の随筆より収監者の手記を読みたい者は少なくない。執筆を妨げる要因は最早些事に成下がっている。編め。扼殺される前に。其の罪の経験を国民全員が贖う為に。 A prophet is not without honor, save in his own country. 辱知には恥辱を受ける。過去を知る者は未来を共に語るべからず。よくある精神病質の行動基準だろう。在邇求遠は自ら語り部を遠ざけるから不可避なのだ。自分も郷里では発言権を持たない。気違いの無職引籠りだし、自治会泡沫非主流派の家の子だからだ。 自分探しは親戚を見れば判る。家系と遺伝とを遡れば良い。 余りにもブランキの虚無感に影響され過ぎた。まだ開いていないが。仏蘭西語の原文が網上で無料で閲覧できる。下載は安全上の問題で見送った。 無差別殺人の心配をする人が多いが、有差別殺人での横死数の方が圧倒的だ。面識率は平成二十三年で87.8%。自身の人間関係で縁辺化(marginalise, [追記0509; peripheralise])した人物の恨みを買わぬよう気を付けるが良い。 [追記0507 結局犯罪者や仮想空間で暴れる奴の殆どは似非IN型、略してSIN型なのだろう。文字通り罪深い。自己認識が誤っているのだから。具体的には申さないが。IN型が迷惑しているとだけ。] 偉人伝や道徳の紙芝居の文は縷縷綿綿に過ぎ説教臭いが、基本的に歴史書や哲学書が味気ないと思う人が聞入るのであれで適切なのだろう。視聴者の為の言語だから。只、鯫生は半分に削ってしまう側にあるし、見せられてもソシャの周回をし乍ら聞流すだろう。 挨拶は文字通りの機能を持っている。通俗倫理なぞ問題ではない。自衛なのだ。 気持ちを聞く心理面接だけでなく意見を聞く心理面接が在っても良いと思う。というより、仕事本や講演会がそれなのかもしれない。 気持ちは無条件に受入れられるが、意見は役立つか影響力のある口でないと排斥する。歪に感じる。 逆に料金を請求したくなる面談員もいる。知識も経験も不足しているのだ。社会投資と割切っているが。 言葉と心を尽くしても徒労に終わるから愚かさには怒鳴りたくなる。補償を求めてしまう。 道徳とは功利主義又はTFTである。何度も書いているが。 助けたくない人を助けよ。助けたい人...