haiku0271

 

修司忌や書も街並も画面越し


書を捨てよ町へ出ようとの題の評論や演劇が流行ったらしい。視覚言語優位なので舞台の機微は分からないし、随録も文字通りの事が書いてあるだけらしいので気が進まない。抑処置の施しようのない書痴なので書を携えて街へ出ようと誘って頂いた方が有難い。

今の世は情報機器に遊ばれる人が多すぎるので隠匿網から自由が失われてしまった。金儲けの為の不道徳が通信を蚕食している。憖識字率や通信網羅率、端末普及率が高いので直感的に訴求する表現が鉤章棘句を駆逐してしまう。他国では文字媒体には真剣で奥深い内容か定型化していない笑話が載っているのだが。剰え宴会券や散らし程の機能しかない紙束を以て技術者や印刷所、流通業や小売に負荷を掛ける輩もいる。勘弁してほしい。

_/_/_/_/_/

多重知能診断があるが、あの問診票で内省知能が90以上になった人は恥じた方がいい。というのも自己啓発本を読むかなぞと云った頓珍漢が雑ざっているからだ。制作者は意識高い系を当擦りたかったに違いない。又は、米国の語句を文化の差を考慮せずに忠実に訳した結果かもしれない。啓蒙業界は不審人物(婉曲表現)の溜り場で辟易している。

何度も申すが、自己啓発本は言葉を覚える為に読む本である。日常業務に差支えないならば無用の長物に過ぎない。孫引きではなく原典に当たれと大学入学直後に教込まれる筈なのだがなあ。

例えば権力の法則48条なる仕事本は少し調べれば那翁や諸葛亮と云った錚錚たる面々の思想を敷衍していると直ぐに判る。後は自伝、史書、公文書、手記、書簡なりを当たれば良かろう。一人では難しいならば図書館の照会(レファレンス)担当への相談が捷径だ。

散々貶しておいて恐縮だが、弊網録も開発の性質を帯びている。違いは料金と語彙と文章の冗長性である。鯫生の類は繰返しを嫌う。大事な文言は何遍も味読する事にしている。坊間の書は一度で読捨てられると承知した上で諄諄語っている。結局拾読みや立読みで売上げに繋がらない気がするのだが何故か販売数番付を独占している。大いなる不思議だ。

重複の回避とはシニャックやスラの画法。

芝居の界隈とは没交渉だが、寺山氏の短歌は何度も音読したいと思える。清々しい詩人だ。網上で数十首見ただけなので、全歌集、全句集を仕入れたい。

昨年度の共通試験の漢文で熟読、精読の重要性を説いていた。速読の惹句に流されてはならない。未熟者には処理の効率化の為に無駄を経験させねばなるまい。何に注意を向けるかは個々人で選ぶしかないのだ。

コメント