haiku0291
鳩槃荼を覚え黄ばんだネルは寝る
昔古典の用言で覚ゆや寝(下二段)をややこしく感じた。今回の句を作るに当たってネルは寝るなる陳腐な洒落が文語では禁止されているのに気付いた。当然ネルぞ寝るは連体形でぬると読むので小手先も通じない。黄ばんだと口語を使うのは必定だったので今回は特に悩まずに済んだ。
正直に申して、フランネルの季感を形成できていない。寝巻として使うのは冬場だし、御伽噺にうつらうつらした子供の頃を連想するだけだ。一方の夏は空調が空腸に沁みるのでやや厚手の寝衣を着ざるを得ない皮肉な実相もある。普段着としてはもはや初夏が何処かに逝ってしまったので最適な時期が分からない。農民の作務衣の趣ももはやファストファッションに消費され尽くしてしまった。歳時記の作例も少なく、而も心意を解せずに取り敢えず程度の句や猥褻罪に問うべきしかなかった。
The skies they were ashen and dismay;/ The leaves they were crispéd and sere—/ The leaves they were withering and sere;/ It might be night round the 30th [of] May/ Of my most immemorial year; (味気無いパロディ(藁)。要するに思い出すのも辛い或る初夏の夜の話ですがという導入です。[of]は息を吐くだけか完全に脱落させるかにして下さい。音節と韻の関係上です。) 鳩槃荼は辞書かクイズ番組で目にしていたが、注視したのは法華経を読んだ時だ。保護室で四十九日は始終苦熱(tantalization;厳密には渇望とすべき。yun(ry))を叫んでいた。電子辞書を返せと。案外淡々と。結局安定して普通の閉鎖病棟に移されても聴されなかった。殺生ながっちゃんこの内側だったが岩波文庫だけは家族に取って来て貰えたので落ち着いて読む機会を設けられた。意味を調べられない(小声の)読経は度胸が据わったものではなかったが、漢字を見て楽しくなった。無論看護や治療の苦労は計り知れないが、この荼毒の現状も届くと嬉しい。蠹魚のしみったれは無視して監禁しろと御意があっても甘んじて受けるので看経の為の経文と辞書の持参をどうかご寛仮下さい。暴れる頻度も格段に減ると思いますよ。函蓋相応じるようにするのが寛解への捷径かと。誰か官界に諫言して福利を還元してくれたらいいな。松扃から祥慶の世への憧憬を罔両の如き畸人が述べてみた迄です。
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遊びリテーションの本にナースコールの対処法があった。乱発されたら押される前に声を掛けよと。介護のよそよそしさは自らが招いたと真摯であるべきだ。経済一流政治三流とほざいた虚けがそのツケを無辜の同年代以下に払わせているに過ぎない。好況の東京を気分で過ごし公共の統計を微分し損ねた咎だ。自ら悔悟せよ。尤もリボ払い的な、つまりトイチの利子を迫る必要はないが。言を積むに行き過ぎると雪崩れてくるから困っている。どうしたものか。
結構滑稽に書けたので満足じゃ。と云いつつ、精神保健法の改定がある度にびくびくするのではあるが。薬が切れて避難所で倀う心配も尽きない。日の本の政と能登は殊に他人事じゃないのだ。
読誦する鯫生に素朴な気付きを齎した人がいらっしゃった。裸で二言三言交わしただけだったが。風呂で生き返るような感覚は実際の生き死にと関係があるのかという質問だった。正直に言って、SeやSiには苦手意識があるし、当時は心が落ち着いていなかったから考えられなかった。後日気の利いた返答句や歌を載せられたらと思っている。併し乍ら未だに手掛かりさえ摑めない。
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