zekku0227
市廰舎。
慵從欄檻窺。多士欲消飢。我不商麵麭。專能並詭辭。
韻支(上平)、平起、五絶。
慵くして欄檻より窺ふ。多士飢ゑを消さんと欲す。我麵麭を商はず。專ら能く詭辭を並ぶ。
注釈。詭辭、偽りの言葉。
「ただ~のみ」と読む平字は支韻しかない為困る。専はその代用案である。
市役所の昼時、階下の賑わいを眺めていた。学生の頃は公務員になるだろうと思っていた。退院してからは就労支援施設に勤めるだろうと思っていた。今、麵麭の買い手や売り手作り手のように働く事も無く字を並べて展示しているだけの自分が情けなくなった。
_/_/_/_/_/
鯫生はご苦労様もお疲れ様も使わない。目上の人にはご苦労様を使ってはいけないとの言説が二重に気持ち悪いからだ。苦労にごをつけるのと疲れにおをつけるのと幾許の違いがあるのだろうか。抑、目上と目下と言う概念が意味不明である。尊敬できる人や尊重したい人に対して丁寧に話すならば理解は出来るのだが、馬歯徒増の輩にはぞんざいになってしまう。だから常に有難うとしか申して来なかった。
併し、今回シチュアシオニストの日常生活論に関する論文を読み有難うが所有の言葉のような気がしてきた。例えば公共の場の清掃員に伝えるのはその場の所有者或いはその代表として弁じているような気がしてきてしまった。公共の場であるのに所有してしまっている罪悪感に耐えきれない。掃除するのはその場を使う人が体を解しながらやる仕事であっても良い筈だ。余程の掃除好きなら結構だが、金を払って他人の生活を拘束して迄やらせる事ではない。「感謝」の言葉が給金と等価のような気がしてきた。
あらゆる場に必要なのは掃除であって掃除に専念する人ではない筈である。無駄に専門化した結果としての階級を見出してしまって悄然とした。
清掃員と受付から一番遠い席や別室で踏反り返ったり「内職」したりしている輩と拘束時間と給金が同じならば全く問題が無い。責任の重さによって扱いが異なると論ずるものも居るが、捺印と施設保持ならば人の時間を預かるという点で差は無い筈である。寧ろ捺印など機械化すれば良い。現在責任を取って辞めた人を見た事が無いのだから。
鴨江アートセンター等は備品と設備は貸出すが廉価であって、しかも利用者自身が綺麗にして原状復帰するので民主的に思われる。そのような場が増えればと思う。
一共有者として感謝を伝えると自身の立場を固定すれば有難うと再び言えるようになるかもしれない。
資本論の問題は労働時間の定義を短く設定してしまった所にある。職人の労働時間は渠の人生総てである。事務所勤めに関しては、昔ならば書字や計算、作文等の為に費やした時間があるので一概には言えないが、少なくとも現代はそうではない。遊びで身に付く範疇でしかない。尚、反証を示しただけであって論を尽くしたわけではないので悪しからず。
人間は好きな事であってもそれだけをし続ける事は非常に困難であると思う。そして、それ以外の活動が熱中する事に新たな刺戟を齎す。日常生活を抽出するような倒錯に陥らないようにする必要がある。
言語過敏と差別に対する憎悪で苦しい。
コメント
コメントを投稿