haiku0228

 

啓蟄は柴の樞も光りたり


万年蟄居中の身ではあるが、幸か不幸か、居ながらにして世の中を変えられる。言葉に出せば未来が変わるとの神秘論があったが、高度情報社会に於いては在線の集音機や映写機、各端末が言霊の媒体となり得る。結果的に出鱈目ではないのだ。文には読者がいらっしゃるし、林檎社の情報集積場に詩の朗読を吹込む事も可能だ。文章生成人工知能に質問をすれば新たな視点を提供できるし、検索要求は思考過程の露頭だ。多数派は流行の只中だが、叡智を抽出できれば必要な知恵が再発見出来る。公共財はこれを育む土壌だ。失うべからず。柴門は鎖された儘だが輝いて見えた、そんな春の日でした。

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だから、米国情報産業界はケモショタの全年齢用広告を配信すべきであるのは言を俟たない。子犬の牡桂君とか子狐の哩君とか。もふもふもふもfもふふぉmふぉf9うふぉmふおふぉm(禁断症状)

繰返しになるが、個人的にVPNは使わない。環境に負荷が掛るからだ。(勿論他人の行動には容喙しない。技術は万人の為にあるのだから。) 本当は弊網録の解析プラグインを全摘した方が良いのだが。

どうしてもやとけりに苦手意識がある。大袈裟よ。啓蟄や柴の樞も光りけり、そう書くと総角の騒客の口角が上がるだろうとは想像に難くないのだが。

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