haiku0219

 

青白き電話ボックス春の夢


観光名所には時々電話ボックスがある。東尋坊が思い出された。

青色電灯で防犯と持て囃された時期があった。結局擬似相関だった。抑静脈の視認性が下がり注射が減るというだけの話だったらしい。まあ、街灯をしょっちゅう交換できる地方公共団体等が更なる治安維持活動を行っていない訳もないので、自然界の黄色と黒の縞模様位には意味があるだろう。個人的には入眠に悪影響がありそうなので撤廃して欲しい。

自殺対策にはなるか。夢現の状態で飛び降りる危険行為を妨げられるかもしれない。覚醒状態になれば、鬱積した気の支配を一時的に逃れられる可能性はある。勿論急場凌ぎでしかないが、転落死の殆どが意識が混濁或いは異常興奮している時に起こるので適切な対応だろう。まあ、頻りに巡回する方が有効だが。

如し鯫生が身を投げるならば、静寂に於いてする。序でに俗世に其の事実を呈示出来れば最善だろう。衆人環視の焼身は小心者には辛い。主張すべきを何も持たないので。まあ、のらりくらりはくたばりませんがね。え、二葉亭四迷と?そんな殺生な。

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wikipediaにはこの筆名も(Kの呟きと同じように)自嘲とあった。紛らわしい。

尊敬と受身を除くと「…を(他動詞)れる」は可能、「…が(他動詞)れる」は自発だ。(ところで涙が流されると表現可能だろうか) 拙文中の受身は粗無く、尊敬は文脈で明らかなので、誤解されることの無きよう願います。

自発の例文; The radio reminds me of my home far away. ラジオを聞くと彼方の故郷が思い出される。律を合わせると、ラジオの故郷(こきょう)の歌声よ。まあラジオに故郷の訛ありも考えられる。高低強勢も合わせると、車に故郷の響きありか。次の節で確定する車を早々出すのに抵抗があるが、次節は日本語では収まらない意味の密度なので前出しは合理的と云えるかもしれない。[追記0223]

以上の如くに一応は助動詞れるの例文として作りました。話題が重いのは重々承知です。

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