tanka0020
救恤の気も理が消えば惑ふべし木守柿こそ三つ四つあらめ
キウジュツはたすけめぐむ。明治の法律にも七つの美徳にもある。ゲームなりなろうなりにも出てくる語で聞いたことが無い人はいないと思うが一応説明した。木守りはきまもり/きもり/こまもり/こもり/きまぶりなどの読みがある。冬になっても収穫せずに残しておく果実を指す。庭番の意味と混同しないように。
人助けには安心や感謝を要求する面もある。時にはメサコンに陥っているかもしれない。このような態度は要支援者の麻痺させた心の痛みを刺激し兼ねない。自らの不甲斐なさや無能さに苛まれるのだ。それを嫌って益々福祉から距離を置くようになる。然らば形式的に喜捨して然らばと去るような名利に囚われた偽善者にしか救えなかった命もあったかもしれない。
本当の弱者は助けたくなる姿をしていないとの言説が流布している。お互いの為にも顔を見せない援助が必要な場合もある。遊離型、流離人、世捨て人への対応がそれだろう。木守り、銀杏並木やお地蔵さんへの供え物は有効だった。木守りには豊穣を願うという題目ではあったが、さもしさやせこさを弛める効果もあったかもしれない。羽化銀杯との寛仁大度あらまほし。
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之を奪わんと将欲[二字で欲]せば、必ず固(しばら)くこれに与えよとは金言だが、世の中には搾取するも多い。どう見分ければよいのやら。政治家と経営者には近づかないのが良いかもしれない。両方の属性を持つ人と関わったら精神病になった。教育に資する事が出来るかもしれないと息巻いたのだが。つくづく金稼ぎに向かない質だなあ。扶持米を掠めんとしたのをお天道様に見透かされたのかもしれない。腐葉土は扶養され踏み躙られ乍ら知的財産を蓄積するしかないとの天啓だろうか。
瞑想、散歩、音読と人断ちが結局は効いたのだ。引き籠りには健康的な蟄居が相応しいのだろう。
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