zekku0107
漢漢學學。
網上頗啾喧。凡愚衍謬論。名儒釐此去。實使我攀轅。
韻元(上平)、仄起、五絶。
網上頗る啾喧たり。凡愚謬論を衍ず。名儒此を釐めて去る。實に我をして轅に攀ぢしむ。
注釈。啾喧、子供の声が喧しい様。衍、広める、拡散する。釐、(記述を)改め正す、釐正、釐改。攀轅、攀轅臥轍(伏轍とも)、立派な官吏の離任を民が惜しんで引留めた故事、処置無しと会話を打切り去ってしまった学者を惜しむ意味として勝手に転用した。
社交網を見渡すと意識高い系と本職の中文専攻が侃侃諤諤の遣取りをしていた。国粋主義に酔っている井蛙に対して神戸の准教授が殆ど適切な返答をしていた。漢詩は誰でもどこでも詠んで良い物であり、似非保守の虚飾ではないと考えている。多分算譜に食わせる為の数拠を収集していたのだろう。人工知能の作文を他人に添削させる輩にはうんざりしている。勿論流されるのも同類である。調べ給え。
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文学者が顰め面のケモ画像で喋っていた。論調に似合っていてほっこりした。
鄰韻を意識すると音声的に統一感が出る。規則ではない工夫の範疇の概念である。通韻は鄰同士の韻目を一纏めにして用いる事である。平水韻の多くは広韻の通韻と見做せる。
頼山陽の鞭聲肅肅夜過河の過ぎるは渡るの意味で此の時は平声である。度を越すの時は両用である。どの漢和辞典にも記載がある。
[追記0217]相手の社会的立場を人質に取ったお粗末な人格攻撃と本文を一文字も読めていない雑な引用に依ってインテリぶる。人格攻撃をするならば相互に参照可能でなければならない。即ち鯫生が常々行っているように身元を大まかで良いので曝け出す必要がある。でなければ、論には論で応じる必要がある。尤も、私は○○社のAIですと打明けられても困るのだが。[追記終了]
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