yokudari0035
形骸に接する
あそうなんすかと無みした
母音韻繰り返す舌
遊び心はひっそりと
墓域に生み出されました
詩度に関する感想を拝見した。詩の究極は日常語の新しく美しい組合わせにあるのは確かだ。但しそこに至るまでに非日常語を経ねば世界が広がらない鯫生のような愚かな擬きも居るのだ。言語化していない感覚や外国語を適切に翻訳する為には古今東西の言葉を参照して語法に逆らわない追創造が必要である。
形骸に陥らない方法を模索している。偶には辞書を引かず、文法韻を気にせずに書進めても良いのかも知れない。鼻に付くと感じられたらその時点で相手にされなくなってしまう世の中なのだから。
良い詩が書けない。結局完全韻は親父ギャグとしか捉えられないのか。あそうなんすかと聞流していたが、結局ラッパーも試行錯誤の後に母音韻(assonance)に辿着いたのだろうか。最近の自分は文法語法警察に成下がっているに違いない。多分心が拗けてしまっているために真面には成れないのだろう。共感を湧起こすのは賢明な他人に任せて、屠龍の技ではあるが、誰からも相手されない鉱夫として埋もれるのが身の丈に合っているのだろう。
敬愛する人と同じ批評に晒される因果よ。外国に向けるべきか。
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心が動かないと名作が生まれない。その意味で、例えば大前提を今一度問直すような、痛烈で正確な批評をこれからもお待ちしています。
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