zekku0067_haiku0383

 

蘆笛を空っ風にも吹かさばや

酬唱。
驚嘆玉詠劬。甚懺舊詩麤。木石猶遺響。況於笳磬乎。


韻虞(上平)、平起、五絶。

玉詠の劬れに驚嘆し、舊詩の麤なるを甚だ懺ゆ。木石すら猶ほ響きを遺す、況や笳磬に於いてをや。

注釈。劬、疲に概ね同じ。木石、心や情けの無い事の譬え。笳磬、あしぶえとケイ、ケイは大きさの異なるくの字型の玉石を吊下げた楽器、多分ウィンドチャイムや吊鉄琴の類。


拠って立つ所がある幸せに浸ってはいるものの、どうしても孤独を歌ってしまう節がある。昨日の絶句に書いた風の叫びに悩んでいるとは持病の症状であって何らの譬喩を含まないのだが、確かに諷刺と捉えるのも可能だった。恐らく嫌猜の語にふんわりとした擬人化が内包されているからだろう。妄想上の意識の集合なのだが。詩歌を読解くのは難しい。Feが行方不明。

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最近民明書房から心理学を冠する本が出たが実質は某界隈の批評だった。笑わせて貰ったと共に安直に其の術語を多用してしまうのを慎もうと思った。完全除去は無理だが。社会の澱を曝出し、吐き気を催させて失礼しました。

言論の世界での孤立無援は寂しい。必要な事を提起すれば既得権益に睨まれる。この時に固有名詞が煩わしく感じる。批評を大自然の声として寛大に受入れて戴けると嬉しいのだが。個人攻撃なる七面倒はクリスマスにさえご用意する習慣がないのだ。皮膚科の精神病患者のようなペルソナとの過度の同一視を治されては何如だろうか。

天地不仁、以萬物爲芻狗。聖人不仁、以百姓爲芻狗。

尚、同じ章に多言数窮とあるが箝口令を敷くのには反対で自他を規制する気もない。抑自己検閲を経ているのだから、其れを信用しなくてどうするのだ。

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