haiku0207

 

立春の「こゝろ」繙く朝かな


高校の教科書に載っていた先生の書簡を読んで以来初めて手を付けた。但し、書き出しがまだるっこしい表現だと思う。独白体ではあるものの一人称を多用し過ぎだ。精々三人しか一堂に会さないのだから、主語を省略しても漱石氏の腕ならば十分に語り尽くせるだろう。旧制の高校生や大学生の回顧だからと云って此処迄青臭いのを見せるのだからそれなりの意味はあるんだろうねと、若干の怒りを抱いている。前文を要約でばっさり切り捨てて告白の手紙だけに集中させたのは英断だったかもしれないと感じる。ポー氏の説の通り、短きを上となすべきかもしれない。兎も角、最低一周する。電子辞書で閲覧しているし、青空文庫も収録しているが、扱い易いように文庫本を贖いに行くことにする。

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弊博客の原則は、語を重複しない(勿論自称を含む)、片仮名を排除する、単純受身構文を避けるの三点だ。当然冗長は嫌うし、少し調べれば分かることは一々述べない。これくらいが適切だと愚考する。まあ、仮に拙文が後世の学問の対象になり、電脳網が潰れ各辞典が焚書されていたら、ご愁傷様ですと申し上げるしか出来ないが。

因みにポー氏の小説、詩、論述の全集が電子辞書に掲載してあるのを御存知ですか。文字の拡大も可能なので視力の如何を問わず楽しめます。勿論英語力は必須で頁移動の簡便さや検索性が犠牲になってはいますが。詩は最後の方に載っているので末尾から渉猟するのをお薦めします。

文学は大学に通わねば修められないとの言は現代では甘えである。心せよ。尤も機能不全の環境から距離を置く為の口実としては可だし、抑甘え自体が必ずしも害悪ではない。但し、金を負担させずに保護する制度を作った方が公共の利益になるとの素人の按図索驥を開陳致しておきます。教員免許等無資格の怠惰な低学歴メンヘラ無職がお教えして良い物ならば微力を尽くすのも吝かではないのだが。心身ともに健康なる要件の差別を描いた公共広告機構の学生大賞は身につまされる。今回取り上げた夏目氏自身が精神的に丈夫だったとは到底考えられないのだが、何故かこの手の見立ては禁忌である。理不尽だな。

直前の段落の第一文だけで炎上したら笑うが、それ程有名でないので杞憂且つ覬覦だろう。

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