tanka0025
泥犂にな入りそとれいわ宣ひき縹の空の能登地震忌かな
今年は謹賀新年の気分ではないが、一応は申し上げます。
宣ひきはのとなゐキ(能登地震忌)と押韻。ナイリは以前使ったが地獄を意味する仏典中の音写語。な~そは~してくれるな、少し婉曲的な禁止命令。動詞の連用形を挟む。但し来はこ、為はせ、則ちいずれも未然形を挿入する。自殺すると地獄に落ちるなんて通説は信じたくはないのだが。また、花田色、大まかには少し薄い紺色だが、この表記を見ると千切れた糸が宙へ散っていく光景が想起される。票には漂う印象がある。絆を押し出して鬱陶しかった東北復興標語の対極の立場に身を置いてみたい気がする。死去に関連するという説もあるらしいナ行を重ねて粛粛と鎮魂の辞を奉りたい。
石川の震災直後に現地入りした国会議員は令和新撰組の山本氏だけだった。生き地獄に寄り添って今日を大切に生きていこうと同じ釜のカレー飯を頂かれた渠は仰った。一方で首都や網上では受け入れ態勢が整わない内は来るなと呼びかけていた。結局拱手傍観しているうちに豪雨でも命を失う羽目になった。つまり地獄に来るなと国政に関わる誰も彼もが宣ったわけだ。殆どの局外者は金も出さずに渾沌を嫌っただけだった。将に死なんとするを留めたのは山本氏だけだった。山本氏以外の党首には敬意を奉らなくても良いかもしれないとぞ。過剰な謙譲語をお使い申し上げたく存じます。輓近の執柄に与る梟獍を祓い清めたいと覬覦しております。
大般涅槃経に釈迦が阿難陀(アーナンダ)に対してもっと長生きして下さい、真実を教え続けて下さいと頼んでくれればよかったのにと呟く場面がある。(中村氏の訳では適宜省かれているが)あの木の下に憩っていた時にも、出先の町で美味しい果物を分かち合った時にもなどと何頁にも亙って責めるような残念がるような回想を続けるのだ。とは云え、誰しもそう願いたくなる人はいらっしゃるわけだが、直接伝えられないのが性というものです。感謝と非難とが逆だったらなあ。
海辺の墓所の風立ちぬ、いざ生きめやもを思い出す。勿論この訳は助詞のやもが反語でなくて詠嘆だったとしても問題がある。やに接続するならば連体形むの方がしっくりくる。然ればこそいざいきめやもを省略したと好意的に捉えても良いが流石に回り諄すぎる。今こそ生きめで結構だったのではなかろうか。原詩は余りにも長すぎて最終聯しか読めなかった。Le vent se lève !… Il faut tenter de vivre ! の後半は We must strive to live. らしい。構文上は It's required to strive to live. が近いが自然な形容詞が見当たらない。敢えて縁語の vital を使ってみようかしらん。音も揃って綺麗だし。(厳密に云うと、 falloir は devoir と同じような意味だが後者が must のように使うのと対照的に、前者は Il faut の形しか認めない。その意味で be required 的な文法則に従うと云える。) ここで have to はそぐわない。主体的に意思を持って~しようと決意するのだから。主観的な must と客観的な have to の違いが漸く解った気がする。
Le vent se lève !… Il faut tenter de vivre !
The wind blows up!… It's vital to strive to live!
吹き上がる。……生きてみようか。
cf. se lever 起き上がる, se réveiller 目が覚める,
日本語の詩にするとどうしてもべしやむで言い切れない。生きねばならぬ位は書いても良いのかもしれないが。鯫生固有の問題だろうか、普遍的な傷心だろうか。
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