senryu0016

 

髡褐の婚活またも坊主かな


髡(U+9AE1,髟+兀,髠とも)は髪を剃るの意味。また、その刑罰も示した。コンカツは粗末な服の剃り窶した人を表す。成分の100%が駄洒落でした。

緇衣が恣意的に戒律を解釈している疑惑は宗教の批評家から度々出る。その中で婚姻を認めるかどうかは頻りに議論になる。鯫生は散聖の妻帯に賛成だ。釈迦迄遡ると渠は法度を全く定めなかった史実にはっとする。善悪は修行者自身に委ねられている。伉儷をなすこと自体が直接は女犯に結びつかない。世継ぎに末代まで供養して貰いたいという檀家の実際的な需要もある。社会制度や医療技術を駆使して姦淫との非難を完璧に躱す方法がないでもない。してみると、所帯を持つのが破戒との謂いはもはや強弁に過ぎない。

色欲を抑えて狂った面々を見ると哀愁を覚える。どうしようもない犯罪行為に及んだ髡豎は許せないが、日照りに遭ってティーンどころか髫齔の魔羅に魅入られた道士見習いは同情の対象にならないでもない。(特に宗教二世で)自身の堕落をまざまざと体感させられて精神病になる男子も多い。見られたくない書き綴りを溜め込むのも致し方ない。但し下卑た詩を朱熹の偶成として流布させた奴は絶許。知らずに「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」と垂れる教員擬きも如何なものか。辞書を参照しない態度が気に食わない。草不可避やアッーーーと同じ不快語であることに考えが及んでいない。無関係だが序でに書く。陶淵明の「時に及びて当に勉励すべし、歳月人を待たず」も授業の成績だけに意識を向けているのならば誤用である。原詩では飲酒を奨める句だからだ。塵寰は無教養を振り翳して雑務強要の怪人ばかりだと痛感する。坊間の書は(特にビジネス書は)斯くの如きが瀰漫しているから視界にさえ入れたくない。巷には渾崙呑棗の凡俗と禍棗災梨とが遍在している。傍観せざるを得ない。

コメント