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沢蟹よ蛇の塒の洞洞と
類句    沢蟹の螯が蛇の塒より


俳句としては類句として挙げた句の方が優れているとは思う。がをやに変えると句会では点を貰えるだろう。季語について。基本的に、食べない蟹は夏の季語で、食べる蟹は冬の季語である。

荀子勧学篇被害者の会の会員は二人おりまして、それが蟹とであります。螻蛄も鼯鼠と同じ扱いを受けるが、直接の被害者ではない。蟹は螯を二つ持ち足が六本あるが、あれやこれやと心が落ち着かないので、蛇や蟺の穴に住むことしかできないとある。この前文に蚯蚓は歯牙や強靭な筋骨を持たないが、穴掘りに専念するので黄泉に届く程深く掘り進むことができるとある。蟺は蚯蚓の意味もあるが、ここでは誤った読みになってしまう。ウミヘビと読むのが適切だ。

個性化には劣等機能を意識に統合する必要があるとユングは云う。思考の人は感情を、感覚の人は直観をずっと使わずに抑え込むのは不健全化に繋がるが、それを解消するには主機能を緩めるしかないという。それが出来ないのは社会のせいだと云いたくはなる。というのも、社会は得てして構成員に主機能への専心を求めるからだ。

自由時間が足りていない。現代の労働の強度で週40時間は働きすぎではないか。自主勉強や情報交換の会話の時間にも給料を出してやっても損はしないと思う。懇談会も酒精と莨を排して業務時間内に行っても良いと思う。昔のgoogleは社食に勤めていた人曰くみんないつもゲームしているようにみえたとのこと。全力で遊ぶだけの勤務日があってもよいのではないか。(但し、世語りポルノソシャゲ抔には投資する必要はないかもしれない)  無用の用を組織で話し合う必要がある。

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職安の求人広告は労働基準法の理念を嘲笑うかのようだ。最低賃金限限の正規雇用ばかりだ。合法ハーブを危険ドラッグと言い換える前に合法求人という皮肉を流行らせるべきだったかもしれない。

個人的には会社が個人の発明や作品の特許、著作権や印税を掠め取るのは得心が行かない。経営者は社員を蹂躙することはあっても嫗煦することはないからだ。これは眇の僻事であって欲しい。

この投稿の文体は或る人の潜移暗化が認められる。鯫生は渠ではないし、人の提灯で明りを取っても意味ないと痛感した。過去とは決別しなければならない。畢竟、感謝は侮辱だったのだ。

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