haiku0098

 

灰の処暑丁重に思ふ敗余の孤


丁重が唐突だと思った人は感覚が鋭い。口に馴染むと感じた人は漢詩の暗唱を頑張った人かもしれない。処処啼鳥を聞くのもじり。

八月は何かと戦争が思い出される。後半になっても鬱積した気が晴れることなく纏わる。処暑とは名ばかりでギラギラした日が続くが、灰色に見えてしまった。玉音放送を聞いて暮らし向きが良くなるかもしれないと希望を持った人もいるだろうが、戦中以上の泥犂が待っていたのではないか。法や倫理を守れば餓死するし、金が一寸あったところで焼け石に水。糊口を凌ぐこともできなかった。特に鰥寡孤独の無告の民はどれほど孤独死しただろうか。

飲鴆止渇を続けていたら、屠肆に行っても文字通りの鬱肉漏脯しか置いていないような、否、あるだけましという未来が待っているような気がしてならない。今から社会全体で食母を貴ぶようにしなければならない。農業への苛斂誅求を止めるしかない。陶朱猗頓にはさらなる負担をお願いするしかない。これ以上の慈善事業は無いのだから受けてくれると嬉しいのだが。金があったら万人養うための仕組みを作って出資したい。杜甫が広廈万間を夢見たように。

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