秋櫻祭。 郢曲合吁嗟。何能語井蛙。嘗充三頃隴。現有百輪花。 韻麻(下平)、仄起、五絶。 郢曲合に吁嗟すべし。何ぞ能く井蛙に語らん。嘗て三頃の隴を充たすも、現に百輪の花有るのみ。 注釈。郢曲、淫らな音曲、田舎びた歌、元は楚国のものを貶して言った。吁嗟、クサ、嘆かわしくて溜息を吐く。三頃隴、広い畑、周代の三頃は約5.5万平米。現有百輪花、勝手にのみを補ってしまった、許し給え、(抑百輪も無かった、七十輪程だろう)。 すらすらと転結の対句が浮かんだのでそのまま一首書上げた。激辛だが。コスモス祭りというよりはコスモスの開花に託けてはっちゃけたい DQN 金持ちの為の 馬鹿騒ぎ 集会だった。前週の秋祭と同じ顔ぶれではないかと疑っている。 子供の頃見た花畑は地平線迄続いていたとは大袈裟だがそれでも迷路の様だった。昔の網上の資料を調べると五百万本、七万平米との数字があった。近隣市の松潤大名行列の嵩増しも記憶に新しく宣伝文句は信用に堪えない。併し零細地方公共団体にとってはおらが町の自慢にはなり得る規模だったろう。家族写真を探ると未就学児の頭上に万葩が咲誇っていた。誰とも会わず気兼ね無く只管に一日中彷徨うも寝そべるも可能だった。 最近の催しや店舗は何処へ行っても余分な背景音楽が垂流しで何らかを購入しないと居座ってはいけないような圧力を感じない處は無い。無何有郷、本当に自由な空間はこのままでは消滅してしまう。何度も申すが鯫生はクオリアシティを考えたくないのだ。一月の展示もロハで何日でも滞在したくなるようご用意出来たらと存じます。市庁舎なので慌しいが努力致します。 T9ZONE展開! _/_/_/_/_/ 尚、同作品中の理想郷は偏狭でない猫族の集落である事は言を俟たないだろう。もふもふ。 老害は年齢ではなく性格だとの記事を流読みしたが、図らずもその典型となってしまった。これでもピッチピチなのよ。勿論腹回りの事。 度量衡を知ると対句が創り易くなる。国語又は歴史便覧或いは国語又は漢和辞典等に載っているので覕せられよ。