haiku0357
二科展の書より読みたき即興詩
ムラキング氏賛
今日から東京で金太郎飴の御開帳らしい。弊網録は権威を輘轢する方針なので斯様な句を載せた。一部の書家は自分が何の字を書いて、どんな文意なのか理解しないとか。世間で絶賛されようとも意志無きは下の下である。由って、季語が立っていないのは当然。あれ、そうなると鯫生の感動が伝わらないかもしれない。
先月下旬、遂に妄想恋愛詩人の尊顔を拝見した。去年の詩幣や網上の作品を拝読し乍ら膨らませていた想像通りの出立ちだった。蓬頭だが、放蕩から程遠い質だった。手書きの解読は正直確証が無いが、豊かな世界を生きていらっしゃるようだった。
朗読の時間に詠まれた即興詩が白眉だった。ルフランを用いて丁寧に景を塗重ねたのは流石で、場数を踏み、真摯に向合い、咳唾を珠となすよう魂を磨いてきたのが伝わった。復たお会いしたい。
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以下釈明。鯫生は以前の記事で秋元氏に引退勧告を突付けた。其れに加えると、作文としては目の付け所と翻訳調の奴隷ではない事が良いが、楽器や斉唱とは和さない。後、高校生向けばかり意識していると感性は腐らなくとも表現が陳套化すると思う。偶には名状し難い物、金にならない物も吐出して欲しい。多分、此処は意見が合わないだろう。
国家が書写の上手を集める仕組みは四庫全書の時代に於いては有意義だったろう。現代では形骸化している。それとも印刷機が使えない時代の資料保存を見越しているのだろうか。大した慧眼である。但し、古文漢文の試験も課した方が、否、これ以上は科挙の二の舞か。
手書きの揺らぎを算譜で完全に表現出来たら面白そう。お手本を取込んでその軟体に掛けるとそれらしき文字列が出力されるとか。機械にも偶然性を織込めたら人間らしさの拡張としては更に発展したと評しても良いのかもしれない。
翻訳調にせよ、展覧会のお手本にせよ、T6の悪癖。有害規則を濫立し逸脱を天誅する。
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