senryu0066
東洋のトヨタに原野売りけむや
某大統領とのOHANASHIは畢竟アラスカの資源開発資金を搾取されただけだった。監視付きで。原野商法、投資詐欺である。というのも早晩イヌイットの大地は温暖化で使い物にならなくなるからだ。輸送用配管は天然ガスの掘出しと永久凍土の消失でがたがただろう。海底撈月と評せざるを得ない。
抑渠に売りに出す権利があるのだろうか。自国第一と標榜する政治家が見事に生活の場を荒らしている。氷雪の民の文化に無知の者がどのように衣食住を保守できたと主張するのだろうか。比較対象無くして判断のしようがない。白色を表す言葉が十種類以上あって、神聖な食べ物は地べたで家族皆で囲うと云った話は今の時代検索すれば転がっているのに調べようともしない。人々の営みに興味がない。結局先の語録も俺に従え(obey me)と同義だろう。
ラ・フォンテーヌの狼と子羊を思出す。"La raison du plus fort est toujours la meilleure :/ Nous l’allons montrer tout à l’heure./ (中略:無理強いする狼に子羊が丁寧に弁明を続ける) / On me l’a dit : il faut que je me venge./ Là-dessus, au fond des forêts/ Le Loup l’emporte, et puis le mange,/ Sans autre forme de procès." デュープロセス、デュープロセスと念仏しておく。
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不健全なT8如きに常識だろ考えろと我鳴られる程の苛立ちの素は無い。御主が案えられよ。
子羊を騙る悪党も居はするが。
ドロー。来た、これが俺の切り札だ!地形を汚染地帯に変更、自分の手札を全て捨てて全員から全ての金貨を徴収する。ターンエンド。ふふふ、恐れ戦くが良い。……こんな状態でマナや食糧ならまだしも貨幣が機能するのだろうかとは常々疑問に思っている。
プレバトを久しぶりに視聴したがいつの間にか実体験の句のみの場になっていた。個人が客観写生に邁進するのは勝手だが、体験格差の是正されない社会で権威がこの決定をしてはならない。高い買い物がお題だったが、例えば流行りの高級サンダルを大きさをよく確認せずに買ってぶかぶかのが手元に残ってしまった砂羽氏の俳句「夏空と履けぬサンダル目眩く」を「夏雲を詰めたし緩きサンダルへ」と作ることは規則に抵触してしまうのだろうか。そうだったら空想という実体験を分離する思想の自由を侵す許されぬ商業的所業だろう。それか外的事象と虚構とを区別できる程人類の脳が賢くないという事実を見逃がしている見識の無い人の決めた法律だろう。
俳句には(もっと一般には詩には)現実から遊離可能な点に心理療法としての働きがある。否定したら害の方が大きいだろう。それこそ死ぬしかなくなる。一番組が金科玉条の如く君臨している俳壇は異常だが実際に些かはそうなってしまっている以上、規定するのは慎まねばなるまい。十七音と季語、それだけでいい。ひょっとしたらそれさえ要らないかもしれないが。
此処迄怒り故か澱みなく文章が書けてしまった。
尚、こうは申すものの、実際に小さな奇跡に出会えるだけの運命力とそれを逃さぬ観察力が偉大な俳人に必須であるのは言を俟たない。但し一般人に大先生が強いてはならない。
後疑問なのは句が先にあってそれを発表する為に実際に制作等を行うことは禁じ手かどうかだ。未来を改竄したくなる。遉に花氷や家桜を詠める人は限られるだろうが。
繰返すが、こんな味気なきよりも楽しみを推進すべきである。愚作を粗製濫造するよりも絶滅寸前季語辞典だけを只管増補し続けて欲しい。危急の次はまだですか。実用性が無いからこそ心の栄養になる。この道理を熟知なさっている筈だが。
無権力主義が迸った。
浜田氏が復帰されていて安心した。
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