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賾なき青き露頭へ蒲公英の絮と八百粁騎驢覓驢かな


秘賾(ヒサク)のサクでおぎろと訓む。康煕字典の部首は貝部。厳密には偏は顎を意味する字で目を強調した臣とは形音が異なる。字義は果てしなく奥深い様、また、そのような道理を言う。

広大無辺の青い露頭を観察すれば地球について理解が深まるような気がする。実際は今立っている大地を試錐したり、電波や地震波で測定したり、河原や砂浜の岩石や砂を調べたり動植物を記録したりした方が効果的だ。幾千里も移動するのは正に在邇求遠だろう。但し、蒲公英の絮と驢馬と共に遥かなる道を行くのはそれ自体に価値が無い訳ではない。寧ろ鯫生の覓句は遠回りだ。詩の動機が朧だから先ず辞書を引くしかない。音を並べる内に気持ちを自覚出来る。言語療法(logotherapy)だ。或る意味で詩を詠まないと活きていけないのかも知れない。

執筆活動は詩文を書き詞林を編み機械を組立てた先達によって支えられている。言霊の幸う国だなあ。

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