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10月, 2024の投稿を表示しています

haiku0146

  秋灯の路修道院への並木 北海道の有名な修道院の並木を見て。初めて目にした写真に引っ張られて涼風のとしていたのだが、季語が動くのに慊慊としていた。万聖節の雰囲気に染まってくると韻も湧き出てきた。 10月の詩と云えばポーのユーラルームだ。渠の詩の中でも屈指の音韻的調和で有名らしい。百回以上読んでも完璧に理解できたか謎だ。音読すると穏やかな気持ちになれる。この最終聯を夫人の忠告に従って削除するも後に戻したそうだ。文は分かりやすさに力点を置きがちだ。併し偶には多岐亡羊も味わってみたい。そんな時に読むと良いかもしれない。 神韻縹渺を解さないからと云って一方的な解釈に囚われないようにしたい。それこそが言の葉をぱりぱりに枯れ果てた(crisped and sere)状態にする。無知の知ではないが、捉えきれないことは自然だ。(知ろうとしないのは問題だが。) 決して恥ずかしい事ではない。溶溶漾漾の前に悒悒とすることがあるかもしれない。だが、読み続ければいつかは陶陶たるべし。泰然自若たらまほし。 _/_/_/_/_/ フリゲでユーラルームと名のついたのを見た事がある。今年のフリゲで票が入っていたのも覚えている。作者も何か感銘を受けたのだろうか。ジャンルの関係で未プレイだが申し上げてみた。 ポーの詩についての対談。 こちら(別館)

haiku0145

  饞吻は三分待つて夜食かな サンプンは物欲しそうな口。実際にはもっと深刻な意味だが。旁が間違い探しになっていている。クロヒヒ兔と覚えるとよい。結構いろいろな人がこう唱えるらしい。讒言や纔かと云った字の書き間違いもなくなるだろう。 即席麵の待ち時間はこれ以上短縮できない。人類が一瞬で平らげることが出来たなら幾らでも削れるらしいが。壮んなれば則ち老ゆとある通り、盛んにお湯を吸収させると弾指頃に伸びてしまう。伸びすぎて卵切りが散り散りになってしまう。男子狂乱せん。目も当てられない。 衆目を集める電視宣伝で有名な曰淸食品の定番は、流石に高くなりすぎた感がある。併し乍ら、そう感じない地域もあるらしい。匿名掲示板に死の谷縦断の体験記を綴った方によると、現地で一番安いとのこと。どう考えても日本製の食品がより確りしている。買い叩きだ。蝙蝠に癒された感動譚が吹き飛んでしまった。儘ならない世の中である。 経済は経世済民の略なのに国民の為の経済と云う重言を指摘する声はない。亦空しからずや。免職の憂き目に遭い麵食も満足ならぬ無告の民も多いのに。

haiku0144

  分れ道ありき黄葉の照る並木 芙蓉峰の冠雪は未だしも、冬の将に来らんとす。吾が心清澄なるフロストのThe Road Not Taken 読みたるに、黄色の木々の只中に岐路の縹緲たるありて、此方の道を選びきと虚勢を張りて云える聞き、古代ギリシャの這い寄れるエピクロスにも比さるる士楊朱の逵(みち)に泣きたるを思い出だして我も悲しも。 アメリカはT3の国だから成功に囚われるのも致し方ない。但し、それに追従するは泥船に乗るが如きなり。分裂の方向だ。[狹き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その路は廣く、之より入る者多し。生命に至る門は狹く、その路は細く、之を見出す者少なし] 具体的には球陽の窮状を見て感取せよとの記事を見た。えん☆さんだ。浮足立った自称心理専門家が跋扈するSNSに於いて珍しく現実的だ。後、文が端的だ。 皆が前へ前まねばと思えば思う程、留まってみたくなる。屹度フロストの一番有名な此の詩の状況になったら、そこに喫茶店でも構えて旅人の憩いの場を作ろうと思うだろう。 _/_/_/_/_/ yellow wood は黄色い木材が取れる木の総称で別に黄葉しているわけではない。念のため。 [違いました。落葉の描写もあるので黄葉と取るのが普通でした。1107] 這い寄れるは葡萄(蔓)を念頭に置いた枕詞です。創作しました。 霜(frost)に掛かる枕詞を御存じの方はご教授願います。二重枕で凌ぎました。序詞的に。 _/_/_/_/_/ 説教臭くなるので再び改行した。楊朱泣岐をz.dicで調べると淮南子の説林訓ではなく荀子の王覇を引用していた。錯簡があるらしい。どうも元は為政者が楽しみばかりを追い求め治めることを放棄している問題を論じている部分の後ろに引用文があったらしい。以下言及している所を記す。 「嗚呼、人に君たる者は亦若き言を察すべし。楊朱は衢涂に哭して曰く、此れは夫の過ちて挙ぐること蹞歩にして千里を跌ふることを覚る者かと。哀しみて之を哭す。此れ亦栄辱安危存亡の衢のみ。此れ其の哀しむべきを為すこと衢涂よりも甚だし。嗚呼哀しいかな。人に君たる者、千歳にして覚らざるとは」岩波文庫 荀子上 _/_/_/_/_/ 詩人が英国の友に君は詩で身を立てるべきだと励ましたとのコラムを読み泣けてしまった。鷗盟あらまほし。 序でに泣菫氏のああ大和にしあらましかばを音読してみたくなった。蒲原氏の

tanka0015

  聞道語法も知らぬ大人ありといづくも同じ神の黄昏 狂歌とすべし。ブンダウゴハフなる四字熟語があるかと見紛う文面になってしまった。実態はきくならくとラグナレク(ラグナロクとも;Ragnarök)との洒落。きくならくは I've heard that。~と言へるを聞くと読下せる。如是我聞も同じような意味。ラグナレクを訳すと厳密には神々の黄昏。真の原義は神々の滅亡。此処では神を集合名詞だと思っておいて下さい。 愚痴の詳細は傲岸不遜を包み隠さず昨日追記に述べた。この疇いは枚挙に遑が無い。正しい日本語を掲げる人ほど花語巧言に陥っている。へぇー、名文なんだ、この平明且つ低次元の綴字がと頻りに呟くを免れない。文法も滅茶苦茶。言う者は知らず、知る者は言わずとあるが、一体どちらに分類すべきだろうか。現代の誄文(伝記と換言しても良い)の殆どが駢儷体にさえ劣るのも嘆かわしい。 頽廃した母語を救うには封印されし狼を解放するしか解法がないのかもしれない。大陸、半島も含めてだが、西洋中心主義に偏り過ぎた。蟹行との邂逅は終焉を迎えた。[C'est un beau roman, c'est une belle histoire / C'est une romance d'aujourd'hui / Il rentrait chez lui, là-haut vers le brouillard / Elle descendait dans le midi, le midi. ~♪] 経験の歌の題名ではないが古の詩人を聞けと叫びたい衝動に駆られる。漆黒の闇に鎖されし鯫生の 桎梏 を解く trickster の翌 檜来 れ かし 。(抑この木は語源からして劣っていると貶されている訳ではないらしいが) 邪心なく所謂邪神に扮するべきだろうか。秀演もて衆怨を悪の苑に移し植えん。そしてリーヴスラシルと洒落込もうか。一人芝居で忙しなさそう。 _/_/_/_/_/ ふとムンクのメタボリズム(新陳代謝)が脳裏を掠めた。イメージの力でやったところだ。衛星放送契約料は公共放送牴牾よりも放送大学に納めたい。 弊博客に載せる文を出力する人工知能を作るとして、どんな媒介変数を設定すべきか。少なくとも縁語と音韻と漢字の部首とギャル文字擬きと季語と弖爾乎波とを手動で教え込むべきだ

haiku0143

  冷まじや守護神誤審を撥ねしも バンシウを晩秋の冷気が包み込む。詠んだのは敵地での一幕ではあるが、電視に映ったその光景は目を疑うものだった。試合終了間際にサックスブルーの選手が自軍ゴール前で相手に倒された。それに対して審判が横たわる選手の反則を取った。一点差にも関わらず絶体絶命のイレブン。併し、右に一っ跳び、守護神抑えたり。辛くも勝ち点3を手にした。 川島様、誤審の 点球(penalty kick) を撥ね除けて頂き thank you very much! これからthxの替りにpkを使おうかしらん。 _/_/_/_/_/ 凄まじきはキャビアの母ではなく捕食者の事である。言わずもがなだが。 ところで退職なさった中国哲学名誉教授が或る右翼系雑誌に寄稿された言語コラムを拝読した。新聞の見出しを槍玉に挙げられたのだが、もの接続助詞の用法を御存知でないようにお見受けした。日本語文化の守護者がこの為体で大丈夫だろうか。憂慮致さざるを得ない。侏儒との評を避けられないだろう。剰え乙会顧問らしい。号の通りに貳畳菴に蟄居し二度とお囀りにならないで戴きたい。それかEx-wordの最上位モデルをお求めになり、ご覧になって推敲なさり乍ら鴻筆を作られたし。 敬語が丁寧だと宣う論が盛んだが、どちらかと云うと鯫生は相手を突き放す時に用いる事が多い。慇懃尾籠を御披露してしまい申し訳ない。勿論尊崇の対象にもお使い申し上げる。こちらは馬鹿丁寧だと屢評される[尊敬]所となっている。難しいなあ。本名を捩られた復讐ではあるのだが。

haiku0142

  青き血の痛々しきや破砕帯 Le sang jaillit sans cesse. (The blood floods ceaselessly.) Strictly speaking, I'd better use another term for the verb flood is for the reference to an uterine haemorrhage, though "the blood bleeds" sounds too monotonous and overly mediocre. In addition, I suppose the image of birth gives the sentence a vivid figure of the great maternal nature, which I believe reminds you of the forgotten awe of the physical and divine planet. (一応機械校正にかけて綴りと語法の間違いだけ訂正した。改稿案は黙殺しました。気になる方は自分で諮ってみてもいいですよ。多分そっちの方が自然なので) この句は立山の隧道を詠んだ。該当箇所は青の照明が当たっている。土木作業の過酷さを物語っている。掘削すると難地層に行き当たる。一般に工事の障害になるのは岩盤だと思う人もいるらしいが、実際には軟弱な層だそうだ。中国の奥地の村に繋がる道路を一人で掘り続けたとか、菊池寛の恩讐の彼方にとか初志貫徹、不撓不屈の美談には事欠かないが、穿たんとするものが確固だから道が通じるのである。然れども、果たして天然の濾過器を貫いてよかったのだろうか。挙銭の宰相 の酩酔によって名水は失われたのではなかろうか。愚公が移した(厳密には移してもらった)山の下敷きになった者に思いを馳せざるを得ない。 青い血で思い出すのは当然血藍素(Hemocyanin)だ。蒼顥を内に秘めていると信じていた王侯貴族はつまりは鮂や鱆や虫の類だと認めたようなものだろう。実際に墨を吐いたり引っ付いたり群れたり刺したりするだけだ。倉皇の名もなき小吏達がそうこうしているうちに奏功し勝利しただけで、槐門棘路共は私の丕業だ貴様等 罷業 [廃業]だと思い上がりも甚だしい。但し猛虎の猶

haiku0141

  心殻を浸漬しにけり鹿威 心の殻を熟語に約めた語を誰か使っているだろうなと思っていたが、辞書には載っておらず、青空サーチで一件見つかっただけだった。更に現代風に表記するとATフィールド(Absolute Terror Field)となるだろう。作中でも絶対領域は心の壁だと言及しているし。鹿威は禽獣を田畑から遠ざける装置全般を指す。音が鳴るものは添水、鳴子、威し銃抔。迫の太郎や僧都唐臼を傍題としている歳時記もあるが、これは米搗きの機械。音はばったんこで共通しているが。 ところでテーゼやルフランを歌う人は闔国に分布しているが歌詞を理解できているのは何割だろうか。英語も怪しい下々に独逸語や仏蘭西語がお判りになるのか。抑、一つの語族なのだから白亜の島言葉に置き換えられて然るべきだが、パッと出るのか。因みに theme(シーム) [おっと、thesis(シーシス)とすべきでした。1028訂正]と refrain(リフレイン) だ。日常語で奇妙な譬えをだらだら展開されるより三馬身はましなのでこれ以上は不要な芸術批判だろう。とはいえ、哲学が専ら外国語学の現状をどげんかせんないかんが。 先日過去の漢字廃止論を託ったが、昔のムックに当たるとどうも文字進化論なる誤謬が流布していた所為らしい。埃及や中華は欧米に劣るという根も葉もない言葉に感化された自称賢人が複数いた故らしい。技術が発展して象形文字への障壁が消滅し、認知速度の差もあってもはや優位性は失われた。開口一番蟹行文字への憧憬を叫ぶ識者もいなくなった。こういう小論文が載っていた昔のムックは、潜在的な直接の顧客に絞った艶麗な文体の商品掲示も相俟ってよいものだと改めて哀惜の念を禁じ得ない。 _/_/_/_/_/ 援例したのは大修館の漢字の本だった。巻末の広告欄で広漢和辞典を自薦して坊主、遊んでばかりいずにこれを読めと宣っていた。読書は最上の娯楽だと愚考するがな。家を富ますに良田を買うを用いず書中自ずから千鍾の粟あり。勿論詩題は勧学だが、セーレーカッキンよりは寧ろ楽勉を謳っているように聞こえる。宣伝には定価で六万円とあったが、先日二万円足らずで略新品のを手に入れた。坊主をさらに卑しめて髡豎と云うがこれもこの書から拝借した。全体的に良書だと思う。大漢和もいつか手元に置きたい。 楽勉は昔からあった語だろうが、一応鯫生が二分の一成人式で捻り出

senryu0022

  報徳をほっとく選挙は孛カ走 己 也 問題があるので難読化しました。申し訳ありませんでしたと儀礼上は記すべきだろう。 日本語と英語の洒落を組み合わせてみた。 The election is no more than their erection. ぼっきぼきのばっきばきに擂り潰してやりたい。尸位素餐の地位を掻っ払いたい。克己せえと喝破したい。大臣でなくとも伴食したい。蛮触の争いばかりの寄生虫を掣肘したい。日よ蛭をして干しめよ。猿よ去れ。稲を買い叩く強(原義は穀象虫)者、また驕奢よ去ね。……。いずれは韻文に奩めたき飛泉の如き激情だ。この瀑布の一抹が幕府を潤さんことを……。すべての政体は戦争勝ちなので幕府と称して差し支えないとの阬 的主張です。もっと過激な句を以前投稿していたので抵抗のない方、免疫のある方は こちらから どうぞ。 也の漢字は仮借だが、象形或いは指示としては陰の交接器を表すとか宣う眉唾の説がある。万劫末代迄まXX[検閲済]を付け回す万恒河沙の衆生を閲するに渠等は屹度文字通り  Hetero erectus なのだろう。経営者や政治家の破廉恥が撲滅出来ないのはそういう性質の人がなるからだという。不倫の露見は飛行機の墜落に同じらしいとの(泡沫記事からの)耳学問を書き残しておく。尻にも縁にも乗りませんので妥当性は想定しようがない。 そんなことより Homo loquens や Homo spiritus , Homo economicus を実生活でもっと見つけたい。 Homo faber にも会いたい。[10月27日追記]  自身の対外人格(persona)は△549としているが、恐らく本来は△954だと思われる。9w1, sp(自)/sx(相) だと余りにも疲れるので多少知的かつ感情的に振る舞うようにしているんじゃないかな(適当)。外向型かつ反応、追従型に対しては影を投射し敵視してしまう嫌いがある。群れに対する忌避感定期。面倒なので付き合うか否かは峻別してしまう。木°ヶ刊廃神の個体値厳選よりも辛(から)いだろう。力凍地方の自転車道を那由多回は往復し、不可思議に垂んとする。歴劫不思議の質の悪さよ。奴さんに適切な薬効を与え給え。まあ網上や紙上の諸賢に満足してはいるのだが。 _/_/_/_/_/ 海外の性格類型の文献を翻訳されている from over

haiku0140

  鴫の看経詩人の無病呻吟 看経とは元は経文を黙読する事。諷経の対義語。いつの間にか誦経の意にも用いるようになった。親の夜歩き息子が監禁なんて地口の原型にも見える。蟹の念仏の類義語は亀の看経。長い事、転じて馬鹿馬鹿しい事を云う越前の俚諺に汁食い看経唐辛子熱湯順礼長左衛門なんてのもあるらしい。 無病呻吟は辛棄疾の詩、臨江仙に出てくる。これを一読したら頬を一筋伝ったのに暫くして気付いた。迍邅坎壈の府で無目的に迅晷を眺め塵機に染まってしまったのを度々悔いる。人気より逭れてばかりではいけないと一念発起するも癲狂を得るに終わる。人に長ぜんと欲しても倀うのみだったなら、どうしてそんな職を求めたのだろうか。でも一人で生きられるほど強くない。黙って耘耔しようかしらん。うん、死んだように生きるよりましだ。鉢を携え歩くのを止めて一緒に鉢で茹菽を育ててくれる助手君を探そうか。 自分でやれ。あと先達とお呼びしろ。

haiku0139

  沈黙せえおはしますのは金木犀 始めおはしますがおはすと同じ変格活用だと勘違いしていた。おはしまするはも間違いではないのかもしれないが、時代劇頻出のすると言う語尾に対する違和感に通じたので止めた。 こにおはするはも可能。そちらが適切か。[10月27日追記] 随縁放曠に角色扮演遊戲(弊博客では以後角扮と略す)に興じていたので、外歩きをしていなかった。端末を放置して久々に彷徨していると日の沈む方向から芳香が漂ってきた。結構な馨香に恍惚とした。沈黙は金なりとあるが、素晴らしきを前にすると嘿せられてしまうものかもしれない。蓬蒿も捨てたもんじゃなかろうと花油の素に加油せられているようだ。 薫蕕を表現せんと群雄が挑んできたが果せなかった。某経済番組が香気で高貴になった事例を紹介していた。この特集を組むにあたって、電視では嗅覚は伝わらないとの旧殻を打破する趣向や技術が出てこないと嘆いていた。香りは電波じゃ伝播しないんだよおと上役が咆哮する紛糾した会議もあったろうと存ずる。 SNSに於いて蘭麝をよく共有する網紅(influencer)のおらんじゃろう事は幸いかもしれない。如何に丁寧に包荒し素早く倣俲するかに心を砕く常鱗凡介が曖昧模糊を捉えられないならばそこに芸術の生きる道がある。尤も香炉(aroma diffuser)を搭載した gogglebox(<"-<"ゑぢゃないよ) が蟋蟀を殺す頃合いも遠くないかもしれないが。 _/_/_/_/_/ 現代表記でホウコウと読む熟語が卅程あって驚いた。炰烋するなく、また、豊功厚利を法効するなく、蓬戸甕牖に葆光し老ゆるも悪くないかもしれない。 日本語の漢字廃止論は盛んだったが、今のフォルモサ(美しい[島])や大陸の情報技術を見るに全て欧米化の熱に浮かされた戯言だったと断言できる。羅馬字論者は絶滅しただろうか。道徳に很忤した渠等(セイシュウとか)は持て囃された分だけ今後断罪すべきだろう。(セイシュウについて加えると、抑 philosophy は science の類義語で小難しい事、象牙の塔の内ばかりを指すのではない。16類型性格診断の説明を読んでいて感じたことだが) 勿論鯫生は訪日者用の行政文書に副えるのを妨げる気はないが。 日本語変換が機能しないので排除したい。嘸蝦米輸入法(ovff/cofu/mn/caur/

haiku0138

  焼岳の焚き増さる木木秋の川 上高地は河童橋が取分け名高い。併し、意思のない influencee が群がっているだけだ。それに比べて石に満ちている硫黄岳は壮観だ。アルプスの香炉の山容を梓川の磧礫上から眺め遣ると寒冷地である筈なのに暖かく感じる。奇勝を推重しながら垂釣して一生を終えたい気もした。河原の隠士と共に二色の石遊びをしたい。いっそこの大谷中に居を構えようか。勿論祁寒の気象だぞとの忠告を聞かんことはない。楽観せずに避寒するが。 凛凛たる兀山は屢崩壊する。大正池が出来た百年前の土石流は有名だが、今でも忠実忠実しく浚渫しなければ流れが堰き止められてしまう程だと読んだことがある。また、頂上付近のガレの一部は硫化水素が噴出して近付けない時期も多いという。登りたい山があるならば直ちに向かうべきだ。僕(やつがれ)の人生に献花は幾らあっても足りない。日陵月替は自然である以上少しもけったいではない。明日もその雄姿を見られるとどうして断言できようか。

senryu0021

  跿跔科頭めける名前や匿流犯 任侠の凋落が目に余る。食い詰めた若造が超楽に稼ぐ方法を思いついたとばかりに種々の詐欺や強盗に手を染めている。男達とは伶仃たるも冷静である事だ。道理に戻った一夜検校は黄梁一炊の夢見心地さえ味わう能わず。暴力は権力者や戦争に向けるから許される。渡世人よ、喧嘩の華を咲かせるならば格好の的が永田町にあるぞ。Y氏の如き誅殺を一度は試してみよ。一人一殺すれば幾らかましになるかもしれない。同情票で圧政が強まる危険性はあるが座して死ぬるよりましかもしれない。 ところで警察官がトクリウなる呼称を付けるとは如何。組対の組織が故障しているかと疑わざるを得ない。響きが也久三好みだと感じなかったのだろうか。F県には実際にそう名乗る極道の会がある。ファジー千万だ。名付け親の管理職は平和ボケしているに違いない。そうでなかったら浅学菲才の謗りを免れない。 扨、荘子や呂氏春秋に盗跖が泥棒の徳を語る部分がある。所謂泗水の学を無頼漢の師帥が反芻して垂示している。「妄りに室中を意りて蔵を中つるは聖なり。入るに先んずるは勇なり。出づるに後るるは義なり。可[否]を知るは知なり。分かつこと均しきは仁なり」 文信侯はこんな論はない方が良いと断じている。一方で南華真経では次のように論じる。最高の知恵は善人にも悪人にも等しく利益があり、また、 蠹居棊処のきしょい 濁世であるから、儒教の潤す所となるのは畢竟破落戸が第一である。 slaughterers(殺戮者) を助長したのは鄒魯だから 、「聖人を掊撃し、盗賊を縦舎して而ち天下始めて治まらん」と締めている。 泗洙を死守したのも今は昔。レベル6社会を見渡せば徳が遊泳の術だった時代の終焉が認められる。生き残るのは海月を始めとする浮遊生物ではなくて鯆のような遊泳生物だ。蜉蝣の一期を蠹虫として途中迄過ごして来られたのでこのまま続けられるといいのだが。大道ばかりか仁義が廃れると瀆鎏の族自身が割を食うのに気付いたらと思わずにはいられない。生活に余裕が無ければ食って寝ていれば良い。所詮誰もが行尸走肉(又はphilosophical zombie)に過ぎないのだから。そうすれば好きと得意を再発見できる。最後まで残っていたものだけが重要なのだ。(やけに説教臭い自戒だなあ)

senryu0020

  陛下亡き落ちし苹果はSteved 没後10年以上経過しているが、皇帝であるかのように崇められている。其の声価は止まる所を知らない。勿論功罪を幾らでも論えるが、二点だけ挙げておきたい。 先ず Think different. について。保守派は副詞を用いるべきで誤った文法だと腐す。信者は因習を打ち破る我らが救世主かの如き扱いをする。いずれも肯綮に当たる論ではない。詩の中では一々 -ly を使わなくても形容詞と見做さない用法は認められているからだ。母語話者達でさえ真摯に英語を学んでこなかった事が露呈している。 次にライトニングについて。特許使用料を払わなければならないから規格を自社開発するのは頷けるがいい加減USBで良いと思う。漸く対応機種を出してきたが、巨擘の逝去後速やかに導入すべきだった。時既に御寿司。嘗て目を皿にして機械を手に取った顧客はもはや別の皿に目移りしてしまった。 Steved が fired の隠語だったと日本語のwikipediaだけに記載があった。奇貨を一度目は幸運にも取り戻せたが二度目はもうない。 Nevermore! 侏儒はさっさと手術して一命を取り留めるが、大人は後ろめたいのに嵌まり込んでしまう。何だろうか。巨大な林檎の汚隆を見乍ら近代力学の父のように何か思いつかないかと案を廻らしている。 _/_/_/_/_/ 林檎の汚隆で浮かんだが、特に大学生の間でiOS端末おりゅしてると屢網上で目にする。鯫生としては電話用の安い泥と遊戯用のそこそこのiPadを併用するのが良さげに思われる。抑制作者の応援以外の目的で課金するようならば携帯ゲームは向いていない。iPadを買えないならば窓で無料のを落とすなり、P1_i(丫等で楽しめば良い。金が無くとも情報と時間を使えばそれなりの文化的な生活が出来るかもしれない。筆記型電脳が買えないとお悩みになっているならば、生活保護を初めとした何らかの福祉制度が使えると思うので役場や社協に相談した方が良い。情報端末が無いと憲法違反という社会もなんだか歪に感じられるが。

senryu0019

  大きなる涼しき後の満月よ 昨日は今年一番大きな満月だった。涼しくなり漸く枯れ尾花が咲きだした。仲秋の名月を愛でるより寧ろ晩秋の十五夜を賞玩した方が賢いのではなかろうか。嫦娥の情が馣馤(アンアイ;香りの強いさま)(U+99A3,99A4)たる季節は遅れ馳せ乍ら御出でなさった。重役出勤も程々になさるべきではなかろうかとお諫め申し上げたい。 佳宵に際して態々大きいとか涼しいとか大袈裟に申し上げたのは開き直り。即ち(日本独自の風習である所の)後の月は普通十三夜を指す。知らずに詠んでしまった間の悪さを隠す為に冗長に描写致した。本番は二日前だったので供える栗も安い。 飛鏡にも拝観料 を課する卑怯者はもはや万 霊 聖節[修正]や黒金曜日、 聖誕祭 等 のエル =ドラドへ羽搏いて行った。賊徒は排した。安堵してとくと玉兎銀蟾を目睹なさいと囁かれた気分だ。 黙れ、馬鹿が分かると窘められそうな駄文でした。

tanka0014

  轟轟と色無き風の立ちにけり豪放磊落たるロックフェス コロナ禍中はコンサートを野外で車の中から観覧した。秋風が蕭蕭と吹く中で。元気なフェスが帰ってきて良かったと思う。 仰々しい名前のバンドが某清涼飲料水の宣伝の為に一曲作ったと聞いた。独創性が一切なかったのは馴染みやすさが優先なので致し方ない。問題なのは渠等の元気のなさである。歌番組の演奏は見るに堪えなかった。その名の如く断頭台で空元気も絞り出せないようであった。あんなのがロックを名乗るとは澆季溷濁かと嘆かわしく思った。肌に合わなかった。強悪にも強善にも成れない小人は口を噤んで手を動かすべきだろう。そんな番組を見てしまった自分が悪いのだが。 概観すると、本物のロックミュージシャンは夭折してしまう。佳人薄命はこの界隈にも当て嵌まる様だ。今は亡き歌手の或るサビを思い出した。遣る瀬無い世の中だから常識外れに生きてみるのも一興かもしれない。因習に染まっても歩んでいけると信じるしかない。

haiku0137

  天高し駑馬も老驥も肋勝ち 天高く馬肥ゆる秋とあるので、俳句では天高しと痩せ馬の取り合わせが実の所定番ではある。だから、痩せにけりとすると間違いなく埋没する。そこで、捻って実景を詠んで韻を踏んでとしたのがあばらがちだった。自慢は以上になります。 こう申すと当人達は否定されるだろうが、鯫生の庠序には驥服塩車と見えた教師が沢山いらっしゃった。勿論牛驥同皁ではあったが。鯫生のような駑駘が長阪を存じなければ前途洋洋だっただろうに。具体的には書けないが、当時から機能不全だったとはいえ優秀だった人々の集団は乱離骨灰になってしまったとの風の便りが届いた。 今戦争の気配がする。戦勝国に成り上がる為に勝ち馬に乗りかねない政権が散見される。そうして終末戦争の引鉄となりそうだ。哀鴻遍野、痩せ馬しかいないのにも拘らず。 _/_/_/_/_/ 教職自体を卑しむのは基本的には格言にあるように出来ない人がやるからだ。ただ、あれ程の方々が無能だったとしたならば相当な高水準と云える。篤志家が徇職した時期があったのだろう。そして今も熱心で不惜身命の人はいるところにはいるのだ。もんぺえ(冬の季語ですが何か? 現実に即して云うと陳套な物言いの西装套服ではある)に阻まれて個別対応がし辛くなっているとも聞くが。職を追われる人も後を絶たないようだ。 個別対応が教職の本分だろう。平等のために公平性を減じなければならないこともある。それに気付いた父兄には豚児に積極的に構ってやって欲しい。同時に、教員を譴責しないでやって欲しい。情けは人の為ならずだろう。再びはそれを縷述しない。 父兄とか豚児などとは云わずに保護者とお子様と云えと云う人は勝手に喚くがよい。美徳に酔うがよい。間断なく。但し鯫生の視界には入るな。 学生時代の傷に浸るのはVBPN(temporistics)的、3P的だと思う。考えが纏まらなくなる。一朝の忿に支配されてしまう。tone policing (語気管制)の餌食になるのは解ってはいるのだが。 ところでtone policing の漢語訳が出ない。新しい言葉だからだけではない気がする。

tanka0013

  朝寒やヴォルデモートと妹と笑へる夢は希望(ケマウ)となりけり 或るSNSでの争いを目撃した。リアルタイムではなかったので物書きの渠が投稿を消したこと、知り合いの証言、疎外された人の陳述からあらましを探った。界隈では日常茶飯事であるし、個人の特定に繋がるので詳説しない。それに余り楽しい事ではなかった。 近日発表した文章が興味深かった。悪名高い魔法使いと幼馴染だった夢を見たそうだ。以降は自分で検索して辿り着いて欲しい。そして、ご一読ください。これだけ鍵を提示して辿り着けないのならば、まだその資格が無いと悟り一旦お諦めになって下さいませ。一応この歌の幻視はこれに触発されたのだろう。 INFPs are always being manipulated by NPDs. 意識的に悪たろうとしている者がいないのが余計に質が悪かった。すれ違いでしかない事に早く気付かれたし。袖振り合うも他生の縁だろう。 _/_/_/_/_/ 現実は現実でない。併し生きよ。 諸多を希望せよ。希望諸多。けまうしょた。ケモショタ。

haiku0136

  村祭我が小太鼓の緩みけり 小学生の時分に祭りで太鼓を叩かせて頂いた。演奏の時は拍が一定になる様に気を付けていたので、周りから遅れていった。意固地になってメトロノームぶっていただけだが。 秋社の引廻しで怪我人が出るのは酔った時だ。米泉の精に眩まされた場合だけでなく特有の空気に魂を奪われても危険だ。だから、全体のテンポを司る小太鼓が熱せられて加速するのは宛ら騎虎之勢に大衆を誘う様なものだ。責任を負わざるべからずと愚考せざるを得ない。 また、元々鯫生の地域では祭囃子を近隣から習ったと思われる。七つあった中で二つを採用していた。狂騒の曲を導入しなかったのは蓋し先人の知恵ではなかろうか。祭典の邌物を見るに衰絰を以てする遣る瀬無さを苗裔に味わわせたくなかったのではと感じられてならない。 なんだか批判じみてしまった。運動音痴で感覚過敏なので恐怖に駆られて論じてしまうのだろう。あれに巻き込まれるとすぐに傷つきそうで。兎に角今年も負傷者を出す不祥事が無ければそれでいいのだが。 _/_/_/_/_/ 国歌の速度と国民の気質なる研究があるそうな。速いと犯罪率が高くなり、遅いと自殺率が高くなるそうだ。実際に曲が精神に影響するならば由々しき事態だろう。後付けかと疑っているが。

haiku0135

  酗醟すな食へ食へ食へや村祭 酗醟(クエイ;U+9157,U+919F)は酒に酔って狂う。先の字は読み辛いが後の字は栄華のエイと同じ音素なので間違えないだろう。 秋祭と雖も前後不覚になるのは如何なものか。花看半開、酒飲微酔。此中大佳趣。若至爛漫酕醄、便成悪境矣。履盈満者、宜思之。菜根譚に云う。酕醄の暴動は枚挙に遑がない。海の向こうの事例を持ち出して非難する論客は多いが、そろそろ一世紀経とうとしているので、禁酒法を試してみるのも一興かもしれない。社会が成熟しているのか爛熟しているのかが問題だが。 Enivrez-Vous (酔ってい給え)と云う散文詩がボードレールにある。時間の奴隷にならぬために酒、詩、美徳に酔っていなさいと詠っている。この詩の力強さが全く解析できない己を責めざるを得ないが、涔涔たる心身に深深と迫る。来年の初夏の詩で予約しておいたが、時間泥棒や時間貯蓄銀行に気を付けなければならない。まあ、もはや国際総合時間銀行になっているのかもしれないが。 正直に述べると、詩に酔っている自分を開陳するのは恥ずかしい。所詮古人の咳唾の珠を拾って糸を通しているに過ぎない。誰にでも出来る。そんなんで時間を奪っている。米泉の精に魅入られた小人を論駁する資格があるのだろうか。 折角の晴れの日なのだからいっぱい食べていっぱい騒いていっぱい眠る。その幸せを噛み締めても良いのではないだろうか。いつかは死ぬのだから。バイキングで何度か吐いた羅馬貴族みたいな鯫生が申しても仕方ないが。

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  床擦れの無想の寄寓十日菊 陰性症状の著しい時は全くの無感動、無気力で寝床から起き上がる事も儘ならない。重陽の節句を過ぎてから菊が咲いていたり、飾ってあったりしているのに気が付く。もはや何もかもが手遅れに思われる。高尚な在家を気取るしか憂さ晴らしが出来ない。否、鬱憤を感取するも能わぬさまである。病状が落ち着いた今は涅槃体験と呼んでいる。不随意の形骸を恨む感情も滌除しなければ入滅ではなかろうが。

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  琉球の早き長袖秋寒よ この頃ようやっと季節が進んだ気がする。夏日が稀になってきて夜中は20度を下回ってきた。温暖な南西諸島から引っ越してきた人が早速秋冬物に袖を通していた。あきさみよーと呟いていたので、えらくひやっこくなってきましたねと挨拶しておいた。それと比べると小学生は幾ら退化したとしても風の子なのだなと感慨深げに眺めていた。 うりずんや砂糖黍、慰霊の日抔魅力的な季語に事欠かない。二十四節気の地方名も耳に心地よい。球陽で休養したい。春と秋が無くなったのだから、常夏の島に視察がてらこれからの俳句の在り方を考えたい気もする。それに水天一碧の地へ旅立った冷飯の友が待っている。急用を蹴って久要を果たさん。空山一路の境涯に至りたく候。 旧雨云々は想像の産物です。ご心配なきよう。まあ一人で生きていくなんて不可能かなと諦めるしかないのか。スキゾが好きぞと云う環境は無いのだろう。空きっ腹のパラノが満足する涯分も同じだろう。生かして貰ったことは感謝するが疲れてしまった。案外ぶん投げてしまうのが良いかもしれない。塵垢粃糠は軟紅塵中から超塵出俗しなければならないのだろう。

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  蓊然と森は豊かになりぬれど見慣れ磯馴れし松茸いづこ みなれそなるは源氏物語に出てくる言葉遊びを含んだ言い回し。水と磯の縁語を連ねた語で、意味は見慣れるに集約する。但し、此処では磯馴れた松という繫がりもある。磯馴るは磯風にあたって木が低く曲がって生えているさまを云う。粒粒辛苦の趣がある。 先日申した、実際の森の姿がこれである。菌根菌の貧困化は森林の極相化によって引き起こされる。場自体は豊かになっても、大事な価値が置き去りにされ消えていく。その象徴のように思われた。 寒巌枯木が悟りの境地を表す言葉だが、巉巌孤松という言葉が何となく浮かんできた。世の中から距離を置きつつ苦しみに耐え乍ら青々としている感じか。

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  松茸や菌根菌の貧困化 今年は松茸も柿も豊作と聞いている。手の届かない食材ではあるが、秋の気配を体感出来て嬉しい。 放送大学で前期に人類学の講義をやっていた。その中でマルチスピーシーズ民族学を紹介していて、松茸を取り巻く人類と自然環境に焦点を当てていた。アナ・チンさんの本も俎上に上がった。人類学の新しい可能性を垣間見られた実りある時間だった。 松茸はその名の通り赤松の周りに生える茸だ。赤松が生える場所は生態系が攪乱した場所だ。嵐や寿命で倒木があった場所だったり、枯葉や下草を根気よく取り除く里山に生えていた。日本では手入れされた外山の減少に従って収穫量が減っている。馬鹿松茸なる近縁種が栽培できたという報道も関心が高かった。 菌根菌の貧困化を実際に描くとどうなるかは翌日の投稿を待たれたい。

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  柔らかき濁流来たり移牧祭 間もなく南仏(la Provence)では移牧祭(la fête de la transhumance)の時期になる。近年は垂直移動にトラックを使うので伝統と観光の為に行う。それにも関わらず壮観だ。初めは犇犇と羼せんとする移牧祭としていた。だが、余りにも鉤章棘句だったので没にした。サン(呉音セン)は羊がまじりあうと云う意味以外にも我先にと前に出ようとするとか、割り込みをするとかの解説もある。 𩰞士(デイシ/ビシ;U+29C1E)は肩摩轂撃の喧鬧で権謀術数を巡らせろ。勝手に己が精根を疲らしていればよいのだ。鯫生は 群蟻附羴を傍目に壟断させて戴きます。 羊だけでなく人々も寿司詰めの様を見ると門巷塡隘の感よりもむしろ路を押し広げているように思われる。そんな風だから、群れが過ぎ去った後の道は屹度数糎広かろう。秋風がその隙間を満たそうと吹き込んでくる。お日様の名残は白駒過隙の如きだったことよ。

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  身を沈めいなくなったか稲雀 嘗て雀は常に視界に入った。勿論、群れに対する忌避感センサーに引っかかっていた。最近は声は聞こえるものの数がめっきり減ったようだ。門前雀羅を張る蓬窓からは田圃に集っていたのが見えたのだが。宅地が増えることは渠等には滄海桑田だろう。人の消長によって、愛らしい陪堂がぽいと行ってしまう。醇醨を象徴しているようだ。純利益に酗醟(クエイ)してばかりで良いのだろうか。世の中の準星(sir Kuei)に問うてみたい気がする。

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  榛の枝もて水面を打ちつれば胚胎したる霊池なんめり 榛は花が春、実が秋。西洋ハシバミの果実はヘーゼルナッツと云う。 榛の枝を水に打ち付けるとその人の望んだ動物が現れるとの伝説を聞いて霊験灼かな池にやってきた。静寂に強かに打ち付ければ張り詰めた音がして、何かを孕んでいるかのように漣が立った。金波銀波を眺めていると、孤独を癒してくれる者が現れそうな気がした。はあ、渟膏湛碧からケモショタが出てこないかな。相変わらず煩悩塗れでした。

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  朝な朝な猋泣すなり狗尾草 飄風は朝を終えず驟雨は日を終えずとあるが、毎朝疾風に雀の粟が欷歔するようだ。猋泣は猋拉の誤りと説明する辞書もあるが、敢えて使った。また、風鳴の美しさは荻が代表的だが、をぐなる動詞を気にしなければ猫じゃらしも趣深く聞こえる。狗尾草は犬がうじゃうじゃしているように見えなくもないが、何故か群れに対する忌避感が働かない。もふもふの魔力か。 何かと鶏犬不寧で邑犬群吠して淮南の鶏犬が大きな顔をする。狗尾続貂頻りに狗馬の心は蔑ろ或いは口吻だけ。兎死狗烹も真屢に聞こゆ。興奮して豚児犬子が蜀犬吠日の如きを為すは世に遍し。驢鳴犬吠と罵られ所詮画虎類狗に過ぎないと嘲られようとも刻鵠類鶩と心頭滅却して白衣蒼狗の娑婆を孤高を保ち糊口を凌ぐ。仮令虎口を凌ぎ竜穴に入るとも、ボナンザなんざないと閉明塞聡するには余りにも長すぎる。醜い家鴨の子のような馬鹿果報もないではないから。畢竟すると合水和泥は禰祖来の血に合わないと云って逃げるだけの卑怯者。自己愛ばかりの文で吐き気を催す。どうのこうのよりも耨耕が良いのですがね。惜しいが雑草なので芸ってしまいましょう。耘鋤。耘鋤。

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  秋の雨狂い花こそ散りぬめれ 夏日が続く中、まだ植物が青々として、花も絶えない頃に咲いてしまった櫻。冬に咲いた時のように愛でてくれる人も少ない。しとしとと庭木の葉を打ちながら雨るを見るに恐らく既に散ってしまっただろう。 元は秋湿りだったが、感覚が全く異なる語だったので慌てて変えた。秋雨や秋霖の趣もない。天気図を見れば秋黴雨だが。後の村雨や秋の村雨が程よさげではある。兎に角䬆颲(リツレツ;U+4B06,U+98B2)即ち暴風雨と云うべきが襲ってくる。㵗㶔𤃫𣸎(ハウハイクヮウ(コウ)クヮイ;3D57,3D94,240EB,23E0E)たる海川や秋出水にはげんなりする。秋分を過ぎて中立的総称を使わざるを得ないのは秋雨以上に寂寥感を覚える。

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  赤い羽根ずっしり保証人の厨子 ずっしりではなくぎっしりとすべきではあるが、韻を踏まないと内容が重くなりすぎるので致し方ないとの言い訳をお書きしておく。赤い羽根ぎしり連帯保証人としていたのだが沢山の赤い羽根を身に着けているように誤読する可能性が高いので改めた。それに余りにも深刻だ。実は法的にはさておき句の意味は全く変わらないのだが。 共同債務者になりがちな気質の典型的な持ち物が思いつかないので人工知能に聞いてみた。借主の写真や手紙抔思い出の品を秘蔵しているらしい。安直に捺印してしまう懐っこい人々を見捨てて良いのだろうか。貶すのは芥を拾うようなものだが幸福総量規制を課しているのではなかろうか。 扨、積羽沈船との謂いがある。赤い羽根共同募金ではこの文字通りのお礼を用意しているだろう。それが殆ど配り果せるだろうからいったいどれ程の金が集まるのだろうか。花鳥園の飼育員によると鸚哥の羽の重さは100分の1瓦にも満たないらしい。仮に200分の1瓦としよう。この熟語が出来た頃の船は100瓩あれば沈むだろうから2000万枚とみなす。一人100円とみなすと20億円。やったね。100人の老後は安泰(だった)よ。実際には168億円集まるらしいので8艘も沈められるとのこと。 更に閑話休題。羽翮飛肉なる四字熟語がある。あの成功者には何枚の羽が付いていて、何枚抜け落ちたのだろうかと猜謗したくなる時もある。だが、自分も60兆個の細胞で出来ている。この国家は1億の国民で出来ている。才貌に関わらず支えられているのだからお陰様なのだよと自身を宥め賺している。羨望より起こる訕謗を何時迄呪禁し得るだろうか。不安になる。或いは人生の再びの冬である所の不踰迄耐え続けなければならないかもしれない。遣り甲斐のある修行と云えなくもない。

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  きなげつへ五十本目か久方のアメリカ人ぞ立ち嘆きつる きなけつは秋の空、または秋の朝と解説があるだけではっきりしない。動詞句のようにも聞こえる。或いは片仮名のキウケツを読み間違えたか。蓋し穹泬(穹窿,泬寥の天)が元の熟語か。辞書によって弓がキウとキュウとで表記が揺れているが。キウと読む音素には九、久などもあるのでこちらかも。拙詩ではきなげつと云う語形もあったので、そちらを採用した。 白状すると、子規の短歌をパクりました。野球の歌だとはっきりさせる必要があったので。上品に本歌取りと申し上げていいのかどうか。音数の関係上55本目を打ったら改作しようと企図していた。遂に叶わなかったのでこのままにした。季題が平仮名なので逆に目立っている。所謂日本ホルホルが食傷気味な方には申し訳ない。ただ、憧れの大リーグで本場の選手に全く見劣りしない打者兼投手が誕生するとは予想だにしなかった。 或る人の評論を拝読して、確かに現行の統計では測りきれない指名打者だったと感じた。 That statistic makes no sence. The batter is set too low with such insufficient data. We need something new to rate him correctly. How about introducing Otani's on-base plus slugging percentage; OOPS? 中継を見るたびにこの指数(厳密には統計量)を間投詞と空目した。いっその事渠を評価できなかった謝罪としてOOPSなる部門を新設してしまえばいい。データアナリスト様方に於いてはその迂闊さをお愧じ遊ばしませ。具体的な計算式は越俎に当たるので発言を差し控える。

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  トンボロを青山よりの秋茜 一寸心が落ち着かないのでまた後日編集して投稿します。以下メモ。