haiku0144
分れ道ありき黄葉の照る並木
芙蓉峰の冠雪は未だしも、冬の将に来らんとす。吾が心清澄なるフロストのThe Road Not Taken 読みたるに、黄色の木々の只中に岐路の縹緲たるありて、此方の道を選びきと虚勢を張りて云える聞き、古代ギリシャの這い寄れるエピクロスにも比さるる士楊朱の逵(みち)に泣きたるを思い出だして我も悲しも。
アメリカはT3の国だから成功に囚われるのも致し方ない。但し、それに追従するは泥船に乗るが如きなり。分裂の方向だ。[狹き門より入れ、滅びに至る門は大きく、その路は廣く、之より入る者多し。生命に至る門は狹く、その路は細く、之を見出す者少なし] 具体的には球陽の窮状を見て感取せよとの記事を見た。えん☆さんだ。浮足立った自称心理専門家が跋扈するSNSに於いて珍しく現実的だ。後、文が端的だ。
皆が前へ前まねばと思えば思う程、留まってみたくなる。屹度フロストの一番有名な此の詩の状況になったら、そこに喫茶店でも構えて旅人の憩いの場を作ろうと思うだろう。
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yellow wood は黄色い木材が取れる木の総称で別に黄葉しているわけではない。念のため。[違いました。落葉の描写もあるので黄葉と取るのが普通でした。1107]
這い寄れるは葡萄(蔓)を念頭に置いた枕詞です。創作しました。
霜(frost)に掛かる枕詞を御存じの方はご教授願います。二重枕で凌ぎました。序詞的に。
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説教臭くなるので再び改行した。楊朱泣岐をz.dicで調べると淮南子の説林訓ではなく荀子の王覇を引用していた。錯簡があるらしい。どうも元は為政者が楽しみばかりを追い求め治めることを放棄している問題を論じている部分の後ろに引用文があったらしい。以下言及している所を記す。
「嗚呼、人に君たる者は亦若き言を察すべし。楊朱は衢涂に哭して曰く、此れは夫の過ちて挙ぐること蹞歩にして千里を跌ふることを覚る者かと。哀しみて之を哭す。此れ亦栄辱安危存亡の衢のみ。此れ其の哀しむべきを為すこと衢涂よりも甚だし。嗚呼哀しいかな。人に君たる者、千歳にして覚らざるとは」岩波文庫 荀子上
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詩人が英国の友に君は詩で身を立てるべきだと励ましたとのコラムを読み泣けてしまった。鷗盟あらまほし。
序でに泣菫氏のああ大和にしあらましかばを音読してみたくなった。蒲原氏の詩と併せて本朝近現代詩の金字塔だと思うのだが。十人十色は陳腐にしても樝梨橘柚で済むところを鑾鸞を持ち出してらんらんと散文的に口遊んだものだけを詩として信仰しているようでは文学の振興などないに違いない。ん、否、定型ではあるか。失礼しました。
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