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tanka0056

  残暑光宿る白栲浜松の鴨江の館にはたはたとあり ひかりをつなぐお開きに際して 季寄せには薄暑光しか載っていないが、残暑光も認められるのではなかろうか。白栲のは枕詞にすると様々な語が続く。春過ぎての歌では衣を導く。此処では意味の関係で地名の浜名を伴う例があったので、それに倣った。また、最後ははためきてけりと表現しても良いが、けりを使いたい気分でなかった。しみじみとした感動にはそぐわないかもしれない。 最終日は三階で展示と制作をなさっていた。凡そ十二米四方の部屋で中央に五枚の布がひらめいていた。窓からの入射量も増え、街の騒めきも遠く、一階で拝見するよりも生き生きとしていた。作品の間が一人通れる分空いていて、其処に留まると風と日を纏っているようだった。羽衣蹁躚たる様に紛うばかりだった。 現在が古代となった時、金太郎飴のような値札よりもこのような絵が出土して欲しいなと思った。

haiku0349

  学友の捲る頁に後れまじ せんせ~、強い打消意志の助動詞への接続は終止形で~す。これは名詞の季語であって動詞の文節ではありませんよ。船人の間でお盆過ぎに吹く弱い南風を言います。伊豆などで使います。 白南風と並ぶ好みである。周りに読書家が多くいらっしゃるので十分の一でもついて行かなくてはと焦る。読むべき本と読みたい本が最近は一致してきているように思われる。着実に進みたい。

haiku0348

  灰色の背景ばかりの八月よ どうせならば鼓盆の如き生活をしたい。というより八月にならないと戦争を連想しない貧弱な思考機能を反省せよ。以上。 _/_/_/_/_/ 太平洋戦争の記録円盤に再生機がおまけでついてくる販促を上旬に行っていた。鯫生の電脳には円盤読取機が付いていないので欲しいなとは思った。 日本人はSi-Fe。排外主義が只の懐古趣味に過ぎない事を祈っている。但し、その懐古趣味が未来を暗転させる可能性も捨てきれないのだが。 無知で居ることに耐えられない。

senryu0069

  札抜きの 悪 ワル あり 溝 どぶ の揚ポテト MドナルドとN天堂が桃毬以来再びのやらかし。(前回は縫包みの作りが雑だっただけではある。詳しくは pixiv 大百科などを検索。) おまけを取られポテトを捨てられる。水路を態々覗込んではいないが、二十五粁の移動の間、道端には二袋もの揚げ芋が散らばっていた。世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなむあさましき。人殺しと食残しは許さないのが日本人の根柢にある倫理観。関係者の頭がハッピー過ぎる。 _/_/_/_/_/ 粗無関係だが、大漢和の棚の上段にワドルディがおわします。余り載せると床が抜けるので。

haiku0347

  ぐでぐでの偶蹄奇蹄迎へ馬 へっぽこが茄子や胡瓜に苧殻を刺したので安定しない牛と馬になってしまった。牛は偶蹄類、馬は奇蹄類との知識を基に接地面を切ったのも一因かもしれない。下手の横好きだ。 或る人が俳句か川柳らしきを作って気分が良くなっている所に水を差した。というのも駑才を誇られていたからだ。精霊馬の辞書的説明に過ぎなかった。そこで鯫生が一句お作り申し上げた次第であります。 十七音の大原則は余分な言葉を挟まない事だ。端的に描写できなければ千年専念しても無意味だろう。此の取捨選択が結局は短詩の巧拙の分かれ目なのだ。

haiku0346

  白壁の逃ぐる光や秋の色 秋の色は本来は秋の景色、特に紅葉の絶景を詠んだものだったが、俳諧に導入されるにあたって意味が拡張した。最早この句では一般的認識の風景でさえなくなってしまった。併し、命の儚さを感じられる点ではてんで明後日の方向を向いている訳ではない。 つじむら氏の網膜か脳の片隅に映る淡い光が刻一刻と変化していくのは何時迄も眺めていられる癒しだ。お盆の時期なので先祖の魂の様々も仄かな輝きとなって訪れているのだろうか。絵の具が乾きゆく時、日の翳ったり傾いたりする時、裏から覗く時、布を重ねる時、総て異なる宇宙が広がる。 現在は円、楕円から一旦離れて波の線による描写に移った。鯫生も啜などの漢字を正弦波、正接曲線で描写した図案や篆書を綰ねた形をお描きした。主題による制限が却って創作を刺戟するのが了解出来た。 _/_/_/_/_/ つじむらゆうじ氏「ひかりをつなぐ」最終日は18日(月)。興味の有る方、ゆったりした時間が好きな方は訪れてみてはいかが。尚、今週の土曜日は休みなので注意されよ。

haiku0345

  蜂十匹燻したりける迎火よ 去年のことだ。叢に居た蜂が燻されてしまった。お互いに驚いた。残暑を避けて夕方に営巣地を探していたらしい。火を焚くのは年中でも八月の二回だけなのでとんだ災難だったろう。 語順の問題だが、迎火や蜂十匹の出でにけりも考えられる。こっちの方が素直で良いのかもしれない。自動詞になってもいるので。素朴に詠めない所が悪癖と何回も申しているのに治らないならば、もう矯めないでいいかもしれない。 自動詞の方が好まれるが、流石にこの句で出でにけるとやってしまうと、火の中から蜂が湧き出したと取るのが自然なので、問題がある。 (火蜂って怒首領蜂か!) 迎火を上五にしてしまうと意外性が全くない。普通に読めるようにしてくれとのお声が聞こえてきそうではある。これでも苦心惨憺しているのだ。愚痴は以上。 _/_/_/_/_/ 殺虫剤が効かなくなりつつあるとの風の便りがあった。実際はどうなのだろうか。