tanka0006

 

水中のファンデルワールス力間の或るコバルトの如き浮生よ


厳密には水分子間のファンデルワールス力です。

水素結合による強力で柔軟な団結力が世間のように感じられて、鯫生はその間を漂う僅かな金属の特に鈷の一つのような気がする。この元素は爆弾にもなり、維生素B12の核にもなる。

所でコボルドと云えば近年は犬科の小型の二足歩行する妖精の類として描く作品が多い。もとは同じと思われるゴブリンが醜悪な小人になっているのと対照的だ。(例外はヴァーレントゥーガのゴブリンか。狗っぽかった) ただ、需要の所為なのか渠等が仲間になると美少女、美少年化(暗黒微笑)する展開は世の習いだ。剰え筋上の何らの変更もなしに大人のジョージ[倒語です]の為にケモノをケモミミに差し替えた言語道断の社群遊戯もあった。友誼を結ぶに種族の差は果たして如何ともし難いのか。意思疎通もテレパシーじゃダメなのかと常々思う。翻訳機械や魔法、異能も手だ。そのままが受け入れられないならせめて直立だけに留めておけばいいのに。それで見なくなった作品は数知れない。文字媒体だったならば想像上は元の姿に近くしておけるので救いがある。ここに書き記す程度なので、頭の中には自治権を認めて欲しいものである。

philanthropy の語にも手を焼く。博愛的と訳すが原語は人類愛だ。現生人類以外を疎外している。御伽噺の住人達と仲良くする時にこの語は誤解を生む。意味は大分違うが merciful や tender を使うようにしている。(その点で兼愛や博愛の熟語は限定しない分好都合だ) これは、生成人工知能に妖精や獣人を描いてもらう時の説明に悩んでいて思い至った。(gentle を使うと西装套服が出てくるので避けている) 序でに anthro が獣人を表すのに対してちぐはぐな印象を持っている。

或る網上小説家が商業化に際し、獣人キャラの改変に抵抗した。結局顔は譲歩したものの、逆関節(即ち趾行)の嗜好を交換条件としたと聞いたことがある。本人の選好かは分からないが、確実に惹かれる消費者はいるかと。実は作り手は gijinka しない事に寛容な傾向が認められる。妨害するのは売り手だ。いい加減美人画帳を濫造するのは時代遅れになりつつあることに気付かれたし、と帰結したいのだが、欲望に駆られる人ほど稼ぐし購買する。これも定めか。

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鯫生の人間の定義は言葉が通じることである。バベルの塔の崩壊後に人間の総数は百分の一になったと云えるかもしれない。

文化人類学の絵(機械翻訳)をもっと見たい。

ちょっとした愚痴を読んで遣るかという慈悲深い方はこちら(別館)

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