haiku0081

 

蝲蛄や阿闍梨が握る独鈷利し


あじゃりと読むのが普通だが、ここではあざりと読むと韻が合う。

とっこまたは独鈷杵は仏具の一種。煩悩を砕くという。その形から、僧侶の間では鰹節の隠語にもなっている。ということは、肉食していたと非難することもできなくもないが......。

独鈷でザリガニを突いたら楽しそうだと思う。子供たちが遊んでいる所に高僧が混ざって一緒にちょんちょん触っていたら面白い。仏具をそんなことに使うなと大人は怒るかもしれないが、煩悩の根源を砕いていると解釈することもできる。則ち子供時代に満足な遊びが出来たら青年期以降の悩みを乗り越える足しになるかもしれないということだ。飾りとして佩びているだけよりも遥かに有意義だと思う。

今度は殺生や苛めに繋がるのではないかと云う反駁もありそうなので触れておく。そういう時はザリガニを優しく突けばいいのだ。押しつけがましく怒りを込めて仰る自称保護者よりも、将来言うことを聞くようになるかもしれない。その時に教えればよい。大体が、遊びの中の暴力性をその子の本性だとするのは性急な判断の可能性が高い。ゆっくり育てばいいのだ。

(アメリカザリガニが殖えすぎているのでちょっと食べてもいいかもしれない。泥抜きはした方がよさそうだ)

蝲蛄を阿闍梨が握る独鈷もて

の方が意味が伝わるかもしれない。(突きたしを省略して) でも、捌くと連想することも可能だからどうすればいいのか。どっちでもよさそうだ。

コメント