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5月, 2024の投稿を表示しています

haiku0028

  閻浮提(エンブダイ)第七の花エンダイブ   花の美しさに順位をつけるのは無意味だが、第七と言ってみた。敢えて第七感で味わう花だという新説を推したい。 近種のチコリと非常に紛らわしい。仏蘭西ではエンダイブをシコレ(chicorée)またはシコレアンディーヴ(chicorée endive)という。アンディーヴはチコリのこと。米国では混同しているとか。 花は萼の近辺しか目睹しない者もあるが、茎や葉にも個性がある。その点青い菊科が縮れた葉っぱの上に咲いているのは斬新でよい。

senryu0005

  あの人は親ガチャ勝者パリ暮らし   ある程度余裕のある暮らしができる人は運がよかったんだと思う。特に親の遺伝と環境は支配的だ。 近年は実力主義(meritocracy)が持て囃されるがあれも結局は教育格差の析出に過ぎない。 ペアレントクラシー(parentocracy)という造語があるらしいが、語法的に問題がある。尊属殺人をparricideというのでこれに倣ってパリクラシー(parricracy)というべきである。 -cideや-cracyで調べてみるといろいろな言葉が見つかる。英語で部首検索をしているようで面白い。uxoricide ochlocracy etc.

haiku0027

  巻き込むなお前も死ぬな夏の霧   夏山で霧が出てきてどこからか声がする。そちらに行くと崖だった。残留思念に殺されそうになった。 人を呪う思念を残した人がまだ生きていてほしい。そうも思う。 秋の霧と比べて涼しくてわくわくするが、こうした危険も孕んでいる。 実際には数年前の殺人事件を受けての某落語家等の巻き込むな一人で死ねというのを思い出して。一週間後に或る心理学教授が雑誌に投稿した言葉を拝借して。莠言は疾く秀辞は遅し。情報の淹数を考えるべし。 8月3日追記: 見直したらこれは剽窃だと気づいた。謝罪だけしてそのまま編集せずにおくのが良いという判断をした。ついでに「でも」を音数の関係で省いたことも釈明しておく。あるまじきことで申し訳ない。是非元記事には検索して辿り着いてほしい。

haiku0026

  時鳥 か細き眉の 綻びる  偶に口語で句を作るが、基本的には韻の為である。 蜀帝の表記は多にある。20個書けると名人。漢和辞典や歳時記などで探せる。單鳥鴂(←何故か変換できない)。鷤鴂(←気合で変換)。U+9DE4 INTP型のブログに眉毛と16類型なる記事があったが、失笑噴飯してしまった。 修正(7月21日):長き愁眉が-->か細き眉の

haiku0025

   フェイスガードを黒塗りにせし半ズボン   サッカー選手は顔面を痛めることが多い。雑談で上がったのは宮本選手だったが、調べてみると古今東西の仮面舞踏会が閲覧できる。 白色だと弱そうだからペンで黒く塗ったとか眉唾なのだが。

haiku0024

  大矢数巻き替へられし弓束かな 大矢数は今は開催していないらしい。一昼夜続けて矢を放ちその本数を競う競技だ。これを習って俳句にも大矢数なるものがある。一日でどれだけ詠めるかを試すのだ。いつか挑戦してみたい。五十句作れたらいいな。

haiku0023

  小満をとっくり徳利足の来ぬ   五月も半ばを過ぎて草木が益々青くなった。特に雑草が日々生長している。肥胖なる人が無意識に蹂躙しても数時間後には一層茂っているようだ。

haiku0022

  レースフラワー緑雨の筬(をさ)に織られをり   繖形花序は厭きない。ただそれだけ。

haiku0021

  口に非を加ふる飲み物脂汗   中学生の時格好をつけて咖啡を痛飲した時期があったが、狂っていたと思う。あの頃は、言動も自分らしくなかった。多分、余りにも多くの非を口に加えてしまったのだろう。 仏教では精神の状態を変えるものを摂取しないという決まりがある。酒は勿論だが、今では咖啡因も制限されるのだろうか。 豆の生産の労働環境が劣悪なこともこの飲み物の業である。気難しい育成環境に気の遠くなる発酵、焙煎などの加工工程。どれだけの血が浸み込んでいるのだろうか。 なんとなく咖啡の悪いところを論った。咖啡好きには申し訳ない。

haiku0020

  ゴールの庖丁(ハウテイ)ズッキーニのソテー 夏の西葫芦は青々として蘞味が少ないような気がする。近所の家庭菜園で初めてなったので買ってきた。蛋黄醬で炒めるのが一番おいしい気がする。 仏蘭西の魅力は上品さよりも寧ろ力強さにある。郷土料理を愛する魁岸の調理人を見ると、上代の生命力と現代の文明との競演が頼もしく感じる。

haiku0019

  喧噪やラベルを上に注ぐビール 兎に角苦い飲み物が苦手だ。飲み会に行ってビールを注ぐなんてことはしたくない。抑々酒盛りに意味はない。話をしたいなら酒精は断固持ち込んではならない。 飲み会に行くと家にいるより孤独を感じる。何が面白いのだろうか。

haiku0018

  鈴蘭は日へ進まんとするエフィラ ephyra: a larval jellyfish, after separation from the scyphistoma. (ODE) エフィラは海月の方が良いかもしれない。 鈴蘭を近くでじっと見ていると、涼しさを感じた。それは、海月の水槽を呆然と眺めていた時の感覚に似ていた。 海生生物の災害映画では、例えば鮫、鱟、鯱などの主人公がいるが、海月も十分に恐ろしい。触腕に囚われたら只では済まないだろう。幸いなことに遊泳動物ではなく浮遊生物だから被害は予測できそうだ。 殆ど鈴蘭の話をしていなかったことに気づいた。

haiku0017

寸寸(ずたずた)の黒ぞ流るる髪洗ふ 髪を切って髪を洗っただけの話。電動バリカンで切ると、細かい髪の毛が肌に残って少し痒い。それを洗い流すとなんとなく爽快である。 ところで、春の俳句にしたかったら、下五を海苔刻むにすればよい。ほかにはバレンタインデーのチョコ菓子作りにも適用できそう。

senryu0004

  孫卿(そんけい)の書は筍子(たけのこのこ)と書かれ   烏焉成馬、魯魚帝虎。疆埸を彊場、矯正を嬌声。漢字は誤りやすい。草書も間違いやすい。 昔、荀子を書店で頼んだことがあった。注文票を写すときに店員が草冠を竹冠で書いていた。 荀卿は前漢の宣帝の諱を避けて孫卿と呼ばれていたと辞書に書いてあったのを発見した。筍の子で竹の孫だからそう呼ばれるんだなと牽強付会の説を作した。

haiku0016

  ルピナスや銀狼統べし山滴る   ルピナスで独立した季語がなかったので。ルピナスの名前は一説に狼に由来するらしい。また、その花と葉は凛として王を荘厳するかのよう。そこで、こんな句が思いついた。 日本から狼が駆逐されて久しいが、各地で鹿の食害が深刻化している。もう一度嘗ての平穏は取り戻せないのだろうか。

haiku0015

  退虫の呪開かずの食洗機内 ショクセンキナイと読むとある程度調子が整う。 昨日は陰暦4月8日で灌仏会の日でもあったが、虫除けの呪いの日でもあった。甘茶で磨った墨で書いた除けの歌(千早ぶる 卯月 八日は吉日よかみさけ虫を成敗ぞする など)を台所や便所などに逆さに貼り付けたことを退虫の呪ひと言ったと思われる。歳時記に載っていないので未詳。 食洗機を一度も使っていないが、蜚蠊の巣窟になっていないか心配である。 昨日お題箱を探ったら出たので詠んでみた。 追記7月14日:ゼロからわかる俳句超入門です。有難山猫もふもふ。

haiku0014

  蒼穹へ翛然(いうぜん)と飛行機の夏 翛然は(1)鳥の速く飛ぶさま。しゅくぜんとも。(2)物事にとらわれず、自由自在なさま。せうぜんとも。 この句は『Into the Blue』という四十年ほど前のCGアニメを見て浮かんだ。黎明期に物語性のあるアニメを作ったのは私たちが初めてですと誇らしげに語っていたのをニュースで見た。 今のCGは不気味の谷を越えられないでいる。CG以外と混ぜるとどうしても浮いてしまう。 個人的には、昨今の画の綺麗さは過剰だと思う。ゲームでもアニメでも本質を見失っているような気がする。感覚優位から今一度直観優位に立ち返るのもありかと思う。覧古考新、ご一覧あれ。

haiku0013

  卯月晴むずむずと子の第一歯   草田男氏の万緑句に挑んでみたが、蟷螂之斧の感がある。一応口の中でもごもご発音できる前半と突然口を横に開く下五を対比させてみた。 五月晴れが梅雨の晴れ間を意味するのは周知の事実だが、首夏の晴れをどう表現するのか定着していないので、誤用が広まっている。仮に卯月晴れと云ったが、他にすっきりとした言い回しが思いついた方はご教授願いたい。

haiku0012

  鉄線を潜って辿り着く故郷   鉄線は蔓植物なのでアーチ状にしても見ごたえのある植物ではないかと思う。そう飾っているところを見たことはないが。 この句は頭に有刺をつけると全く別の光景になってしまう。鉄線の美しさと真っ向勝負しない悪い癖が出ている。

haiku0011

  母捜し輪廻転生カーネーション   極度のマザコン。輪廻転生と和蘭石竹(撫子)の洒落。以上、解散。

senryu0002&0003

  辞職した知事が今度は羽化登仙 某知事が辞職会見で今後の生活を聞かれたら、山小屋に籠って書を読み仙人になると言い出したそうな。 知事辞任で別の川柳を読んだが、多分日の目を見ないだろうから、ここに供養しておく。 知事辞任マスコミ疲れの知識人   なかなかいい韻が踏めたと思った。 ところで報道で瀰漫が正確に聞き取れない人がいたのを思い出した。以下漢字テスト用短文。 瀰漫する欺瞞雑じりの謬見ら

haiku0010

世語りがくだくだし卯の花腐し 社交辞令や世間話が必要らしいのは理解できるが、自分からするかは別問題。ただ、生憎の卯の花腐しですねくらいは言うかもしれない。 初めは幻聴がとしていたのだが、雨と幻聴はこの前書いたばかりだから避けた。 卯の花を観察すると、雨の降る降らないに関わらずだんだん散っていった。晴れが続いても数輪ずつ損なわれていた。だから、雨のせいで腐っていくというのは心象風景に過ぎないのかもしれない。

haiku0009

   夏立つや悪役の待つ舞台袖   悪役は実力が求められる。主演は皆で支えるものだが悪役は独立しているからだ。そして、終盤で舞台から退場する。悪役を含めた大団円は邪道だと思う。ただ、舞台を引っ張る人であるから、じっくりと観察する人のほうがいい。そんな悪役俳優に迎えられて、今日の芝居を終わりにする。それが夏の公演が始まった今日からのルーチンだ。

senryu0001

  ワッペンが電光石火に出品中   以身殉利。どこにでも利に聡い人はいると感じる。得難きの貨を貴ばず。抑々そういう品は作らないほうがいい。 昔大乱で上必殺技の制御が出来なくて苦労した。上手な人の精密な操作に今でも感服する。

haiku0008

  蠨蛸(あしだかぐも)風呂の引戸に挟まれり 蠨蛸(せうせう)は軍曹。長脚。昔は卦体が悪いと思っていたが、蜚蠊を仕留めているのを見てからは頼もしく感じられる。大体部屋の角にいる。風呂の引き戸の窪みに偶々憩うていたのを気づかなくて、勢いよく開閉したら潰してしまった。この夏の油虫の増殖に震えている。

haiku0007

  茉莉花の香やアフリカの麻酔科医    ジャスミンの香りの洗剤を使っていたあの人は、麻酔科医をしている。ただ、それだけ。 日本の麻酔科医は医療機器の画面を見つめている印象がある。アフリカに行くと患者の脈を手で数えることもある。  ジャスミンの花は中毒性がある。陶酔に導くようだ。

haiku0006

  流金鑠石(りうきんしゃくせき)の黄金週間 軽暖が初夏の季語にあるが迚もじゃない。温暖化が進みすぎである。『楚辞』招魂には東方の過酷な環境の描写の一つに十個の太陽が代わる代わる出て、金属や石を融かしてしまう程の暑さとある。異常な暑さになったものだ。 矍鑠というときは老人の元気なさまをいうが、ここでは衆口鑠金の鑠と同じで融かすの意味。擽る、軋轢、櫟などの字が楽を使った字である。

haiku0005

  燕(つばくら)の暮らす家には子が来らし    俳句の上手に、推定の助動詞なんか17音に含めるんじゃないと云われそう。俳句は目前の或いは心情の正確な描写だからだ。併し、然う云われると、使いたくなる。音を揃えたので赦して欲しい。内容は主婦の雑談から。燕居していると、科学的でないことも聞こえてくるものだ。

haiku0004

  春濤と柱状節理とパパゲーノ   柱状節理といえば、国内は東尋坊、外国は巨人の通り道。六角形の柱がきめ細かに並んで情趣に富む。今回は東尋坊の嶮崖を詠んだ。ウェルテルにせよパパゲーノにせよ、恋愛の懊悩に苛まれた人なので、もう少し別の典型的人物像が欲しいとは思う。パパゲーノの音は好きだが。 生成人工知能で描かれた絵は感動がない。どこを省略してどこを緻密に描くか、畢竟それが絵画の価値なのかもしれない。私事だが、鯫生は詩が生成されるようになっても生を諦めないと心に決めている。    

haiku0003

  泥濘(ぬかるみ)の康衢通逵(かうくつうき)を鯥(むつ)が飛ぶ 世界遺産で韓国の干潟を特集していたので。康衢通逵といえば都会の大通りを指す。また、学問などの王道の譬えにも使われる。なんとなく坴(りく)の字がムツゴロウを上から見下ろしたような形に見える。昨日丁寧を特集したから頭の字を替えようか迷った。 ところで、ムツゴロウが食べられると書いてあるのだが、美味しいのだろうか。泥抜きするとどれだけ水が濁るのだろうか。  

haiku0002

   叮嚀に耵聹(みみあか)を取るメーデー歌   丁寧に同じ部首を足してできる熟語はもう一つ汀濘がある。  耳掃除は医者にやってもらうほうがいいそうな。もし耳垢栓塞の状態に水が入ったら、耳垢水なる医薬品で耳垢を柔らかくしてから洗い流すのが最善だそうな。丁寧に耳垢を取るのは思ったより苦労する。  メイデーや春闘はすっかり鳴りを潜めているが、もしも聞け万国の労働者を聞くことがあったらきっと血気など微塵も感じない丁寧な声が響くだろう。