haiku0096

 

涼新た摩踵放頂のランナー


馬拉松を観戦した。巴里五輪の道程は廿五粁辺りに丘が置かれていた。下りの最大斜度は百分の十三(七度超)との解説には耳を疑わざるを得なかった。上り下りの後で十粁走らなければならなかったのも試練だったと思う。踵を磨り減らして頭に至るまで体全体を酷使して一秒を競う様は感動を呼ぶのだろうなと感じた。

摩頂放踵とは孟子が墨子を評した言葉に由来する(孟子尽心上)。兼愛を押し広める渠は人の為なら頭を磨り減らして踵に至るまで力を尽くしたと云っている。この前には楊朱を一毛不抜と書き、後には子莫を中道(≠中庸)だと記した。(三者のいずれかでなく)量体裁衣が良い、相手の長所を殺さないからだとこの部分を纏めている。

この語を知ってから孟子を読みたいと思った。渠の胡散臭い馬拉松演説を敬遠していたが、尽心篇は箴言集なので厭きないかもしれない。

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馬拉松演説や外交を武勇伝かのように使っている人がいるが、本来は冗長なのを非難する言葉だ。演説馬拉松とは云うらしいが紛らわしい。本物の坊主はお嫌いになるだろうが、演説行脚と呼ばせて戴くのが良いと思われる。

現在は外国の本を買うのは難しく(= unaffordable)、国内の創作は買い叩かれている。(情報端末もだが) 100円程度の円高に誘導して知の流動性と健全性を高めて欲しい。それが汎球化じゃないのだろうか。(個人的には本当は70円位にして欲しい) 互聯網で閲覧できるものはそうするが。

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